てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

「正面を向く」ことの難しさ

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うだるような暑さの中、

蓮の花が咲いていました。

今回は30分間強の座禅でした。

集中できたおかげで、

驚くほどあっという間に終わりました。

ひとつ、座禅のコツを掴んだ気がします。

それは、顔の向きと視線です。

 

座禅の姿勢は、正面を向き、

少し顎を引いて、

頭の頂点から糸を天に向かって

ピーンと吊るすような

イメージで背筋を伸ばすことです。

目は「半眼(はんがん)」といって、

薄目にします。

そして、自分が座る1メートル手前の

畳に視線を落とします。

 

簡単に聞こえるかもしれませんが

正面を向きながら

視線を1メートル先の畳に落とすというのは、

やってみると意外と難しいものです。

正面を向くことばかりに意識を向けると、

視線も前を向いてしまいます。

逆に、視線を畳に落とすことに夢中になると、

顔がだんだん前かがみになります。

そうなると体の軸がぶれて、

呼吸が浅くなります。

 

ぼくは数か月前から

視線を畳から外さないことが集中するコツだ

と思いながらやっていましたが、

正面を向くことはあまり意識しませんでした。

ところが今回、正面を向くことの

大切さを知る機会を偶然に得ました。

 

今回の座禅会は、ぼくは遅刻ギリギリに

参加したために、いつもとは異なる場所に

座ることになりました。

そこは、

真正面に寺の金色に光る門が見える位置でした。

座禅が始まり、

その立派な金門を眺めていたときに

ハッと気付いたのです。

ああ、これが正面を向くということだ。

今まで自分は正面をちゃんと向いていただろうか。

 

金門にしっかりと顔を向けながら(正面を向く)

視線を床に落とす。

床に意識が行き過ぎで、

顔が金門と平行にならなくなったら、

身体が前に傾いているサインです。

 

こうして金門を目印にすることで

正しい姿勢を維持でき、

30分間集中することができました。

 

正面を向く。

ただこれだけのことが、

これほど難しいとは。

 

自分以外のものを頼りにすることで

初めて気づきを得ることができました。

 

人生に通じるところがあるなと

ひとりごちしました。

猛暑に呟く名句「心頭滅却すれば火もまた涼し」は誤解されている

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久しぶりの座禅。写真では伝わりませんが、3週間ぶりに見た蓮が、あちこちの瓶からすごい勢いで成長してました。

zennote.hatenablog.com

 

今日は猛暑とはいわないまでも、そこそこ暑めの一日。汗がじとっとでてきます。

老師が欠席で、代わりの僧がこんな話をしてくれました。

 

心頭滅却すれば火もまた涼し』という有名な言葉があります。

甲州(山梨)の僧が織田信長の焼打ちにあった時に言った言葉と伝えられていますが、

もともとは中国の言葉

「滅却心頭火自涼(心頭を滅却すれば火もおのずから涼し)」

からきています。

そして、実はこの中国の言葉の前には

「安禅不必須山水(安禅は必ずしも山水をもちいず)」

という言葉が付いているのです。

座禅というのは、山や水の音が聞こえるような

静かで気持ちのよい場所で行う必要はない。

暑く厳しい環境であっても、座禅に集中することはできる。

そういう意味だそうです。

 

ぼくは「心頭~」の名句はてっきり日本の僧の言葉だと思っていたので、

中国由来の禅語であることにとても驚きました。

さらに、ある禅宗のサイトによると、

「火もまた涼し」の”涼し”とは、

火が涼しいのではなく、熱さをそのまま受け入れる境地を

「涼し」と表現しているそうです。

”ありのまま”を受け入れるのが座禅の要諦だからです。

 

ぼくが幼い頃、夏になると父がよくこの言葉を口にしてました。

「気分次第で火も涼しく感じる」という意味だと思っていました。

どうやらこれも誤解だったようです。

この夏、墓前で父に教えようと思います。

 

参考:禅語「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト