てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

いいかげんバカになればいい!

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今日は法話会に参加してきました。毎年開催されている、いろいろな和尚さんの”深イイ話”が聞けるイベントです。去年も行ってブログに書いてました。あれからもう1年ですか、早いなあ。

zennote.hatenablog.com

東京の寺で住職を務める50歳代の和尚さんの物語がとても興味深かったですね。

その和尚さんは昔、私がいつも通っている座禅会の老師の下で「臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん)」という修行をしたことがあるそうです。

臘八大摂心は最も厳しい修行の一つで、8日間に渡ってひたすら座禅を組みます。休憩と称して横になることは許されません。眠くもなります、腰も痛くなります。そこで警策といって木の棒で背中をバシーンバシーンと叩かれます。何度も何度も叩かれるので、棒はやがて手元で折れます。

臘八大摂心が終わるころには、折れた警策が何十本と出来上がるそうです。

和尚さんが臘八大摂心を終えたとき、老師は折れた一つの警策に「放下著」と書いて、それを渡したそうです。

和尚さんが「放下著ってどういう意味だろう?」と思って調べると、これは「放り投げてしまいなさい!」という意味だったそうです。

放下著という言葉には次のエピソードがあります。昔、ある修行僧が修行の末に煩悩妄想を一切なくし、師匠に「私は煩悩などすべてなくしました。なにも持っていません。このあと何の修行をしたらいいでしょうか」と得意げに言いました。それに対して師匠が「放下著」と答えました。僧は意味がわからないでいると、師匠は「おまえさん、『なにもない』というのがそんなに大事なら、その大事なものを担いで帰りなさい」と言いました。そこで修行僧はやっと自分がまだ『持っている』ことに気づいた・・・という話です。

生きていれば全てを捨て去ることはなかなかむずかしいでしょう。もっていても、もっていなくてもいい。ただ、その執着はできれば捨て去ったほうがいいということ。和尚さんはそう言いました。

かつて修業の身だった和尚さんは老師の前で良い格好しよう、気に入られようと、そんなことに考えを巡らしていたそうです。すると、そんな心を見透かしたように、あるとき老師から「いいかげん、バカになりなさい!」と怒られたそうです。

老師がしたためた「放下著」には「放り捨てて、バカになりなさい」というメッセージが込められていたのかもしれません。

「わかったかの?わからんじゃろ?最初はそんなもんじゃ」

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今年も紫陽花の季節になりました。きれいですね。はすの葉っぱも、やたらに茂っていました。

座禅会に行ってきました。35分くらいの座禅です。えー2度くらい、寝落ちしました。眠くて眠くて・・・。それだけ気持ちいいんです。終わった瞬間、座禅サイコーって思いました。この先、人生で辛いことがあっても、座禅があったらちょっとなんとかなるんじゃないかって本気で思えるくらい、座禅て気持ちいいんです。何度かやってるとわかってくるんですね。

今日の法話もむずかしかったですね。題材は中国の仏教書「碧巌録」。弟子が師匠を訊ねたら、「はるばるよくきたなあ」というねぎらいの言葉もなく、紙に丸(円相)を描いて、ドアをぴしゃりと締めたという話です。んー、意味不明ですね(笑)。

今日は初参加の20代くらいの人たちがたくさんいました。法話を終えた老師が「(法話の内容が)わかったかの?わからんじゃろ?最初はそんなもんじゃ」と言ってました。何度聞いてもわからない私がここにいますよ。でも、座禅みたいに、そのうち魅力がわかってくるといいなあ。