てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

「苦しみ」とは「自分の思い通りにならないこと」である

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6月中旬の紫陽花(アジサイ)です。

この日は複数の寺の住職が集まり、一般向けに短い説法を行うイベントがありました。印象に残った話を紹介します。

 

「苦(苦しみ)」とは一体何でしょうか。

仏教では、苦とは”自分の思い通りにならないもののこと”と考えます。

その思い通りにならないもののお陰で、この今の自分があるのです。

兄がいるから弟になれる。

妻がいるから夫になれる。

部下がいるから上司になれる。

他のおかげで自分がある。だから、”お陰様”の心を持つことが大事ということです。

 

心にしみました。「苦」の定義が簡にして要ですし、他人がいるから自分があるというのも、なるほどその通りです。

ぼくは会社で20名弱の社員をまとめる”上司”という立場にいます。苦労すること、嫌なこと、たくさんあります。ですけど、彼らが部下でいてくれるからこそ、ぼくは上司という役割と職権と、貴重な経験を与えられているわけです。

部下がいるから上司でいられる。なんともありがたいことだなと思いました。