てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

数十万回の座禅の果て

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今日はお堂で写生してる外人さんがいました。太さの異なる黒いペンのうち、一本を手に持ち、一本を口にくわえ、あと三本を横に置いて堂内を描いてました。覗き込んだら、なかなかの腕前。黙々と画用紙と向き合ってます。

 

今日の座禅はあまり集中できませんでした。30分間のうち、最後の10分位でようやく雑念が取れた感じです。足を解いたらいつもより痺れが強く、冷たい感じがしました。

30分間座禅することが大して苦にならなくなったのは嬉しいことです。通い始めた頃は、本当に辛かったんです。30分なんて、気絶しそうな長い時間でした。それがいまでは、「もうちょっと続けられるかな」というレベルです。

座禅を始めて10か月ほどです。週1回の頻度ですが、毎週来れるわけではないので、たぶん通算すると30回くらい座禅をしたことになります。ちょうど1か月分です。

雲水(うんすい)と呼ばれる若い僧たちは、これを毎日続けています。老師は77、78歳の方ですから、60年以上座禅を続けていることになります。仮に1日10回座禅をしたとして、10×365×60=219000回。約22万回という気の遠くなるような数字です。実際は1日10回ではきかないでしょう。

老師はよく「座禅は1回やっただけでは意味がないんですよ。続けることで、ある日、わかるんです」といいますが、一体どれほどの座禅を重ねればいいのか。

 

まあ、ぼくらは僧ではないので、座禅をして心がスッキリするだけでも十分その魅力を味わうことができます。

今日はお寺に続く坂道を歩きながら、なにかがいつもと違うなあと思ってたのですが、ただ暑さのせいかといえばそうではなく、耳に張り付くようなセミの鳴き声のせいでした。お堂にも聞こえていました。先週はなかったのにね。夏です。