てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

「諸々の教えはいかだのようなもの。激流を渡ったら捨てるべきである」

f:id:kuriedits:20180316210608j:plain先週は夕方の座禅会に参加しました。やっぱり、夕方から夜にかけての座禅の方が、圧倒的に没頭できますね。今日は寺での座禅はせずに、本を読んでました。「8マインドフル・ステップ」という本です。釈迦(ブッダ)が涅槃に至るための道を説いた「八正道」に基づいたマインドフルネスの実践書です。マインドフルネスの世界では非常に有名な本らしいです。これ、めっちゃいいですよ。読んでるだけでリラックスできます。

8マインドフル・ステップス

8マインドフル・ステップス

  • 作者: バンテ・H・グナラタナ,出村佳子
  • 出版社/メーカー: サンガ
  • 発売日: 2014/10/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本の「『人・経験・信仰』にたいする執着を手放す」という章に印象的な記述がありました。執着という感情についてです。

私たちは自分というものの個性を得たいがために、信仰や意見、思考に執着します。たとえば、自分の支持する政治家や政策問題についての意見が批判されると、自分が攻撃されたかのように感じますよね?執着があるために、欲が生まれ、苦しみが生まれます。この苦しみから逃れるためには、善も悪も越えてあらゆる執着を捨てる必要があると考えられています。ブッダは、ブッダ自身の教えさえも手放すべきだと説いたそうです。

諸々の教えは、いかだのようなものである。

いかだによって激流を渡ったら、

いかだは捨てていくべきである。

たとえ善い教えでも、捨てるべきである。

悪い教えなら、なおさらである。 <中部経典22>

正しい教えでも捨てるというのが大事なんですね。仕事でも、過去のやり方や栄光、成功は捨てなくてはいけません。むずかしいことですが、そこに執着すると余計な苦しみや軋轢を生むことは、多くの人が実感として経験していると思います。一人一人の過去の経験は貴重ですばらしいものです。ですが、「医療とはこうあるべき」「メディアとはこうあるべき」「小売業とはこうあるべき」そのような執着はいったん捨てて、目の前の課題や問題に取り組む。そのようにありたいと思いました。