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読書感想:『現代坐禅講義』

今日はおすすめの本を紹介します。先日のブログでも取り上げたこちらの本です。

現代坐禅講義―只管打坐への道

現代坐禅講義―只管打坐への道

 

著者の藤田老師は1954年生まれの僧侶です。東京大学大学院の博士課程を途中退学して曹洞宗の僧侶になり、33歳で渡米して現地で禅の講義や座禅指導を行い51歳で帰国。神奈川県の葉山町坐禅会を主催しながら、サンフランシスコの曹洞宗国際センター所長として日本と海外を行き来しているという、只者ではない経歴の持ち主です。

本書は藤田老師の講義録のような形で進んでいきます。しかし、「坐禅とはこうです」といった結論がくるのではなく、老師自身が長年模索してきた坐禅を、一緒に追究していくような感覚で読むことができます。

かつての藤田老師にとって、正しい坐禅とは、なぞり絵のようなものだったそうです。手、足、頭、背中、など体の各部の位置を正確に位置づけ、点と点を描線で結んでいくと、坐禅になると藤田老師は考えていました。そこで、この点を増やせば増やすほど正確で正しい座禅に近づくと考えた藤田老師は、これまでの座禅指導にはあまりなかった細かい部分、たとえば「両手の親指の先を軽く合わせる、その接触点の位置」などを指導することで、厳密で間違いのない座禅の絵を描こうとしました。

しかし、あるとき、坐禅をしていてこれは違うということに気づいたそうです。道元禅師の『正法眼蔵随聞記』には「坐はすなわち不為(人間的作為が全くないこと)」とあるし、釈尊菩提樹の下で坐禅していた時に、頭はこの位置、手はこの位置で・・・などと自分の中の正しいとされる座禅の格好と実際を比べて理想形に近付けるようにしていたとは思えないと考えたのです。

ここから藤田老師の坐禅論がスタートします。

私のような座禅の初学者は、寺で「手はこの位置」「頭はまっすぐにして」と体のパーツごとの位置を教えられます。それはそれで誤りではないのでしょうが、本来の坐禅とはそういうものではないと語る藤田老師の話は実に刺激的でした。

この本の魅力は、坐禅は苦しいものでもなければ、肩を張ってやるものでもないということを教えてくれることです。本書では藤田老師と、ヨガ指導者や整体指導者との対談が掲載されていて、対談の次の一節は非常に頷かされるものでした。

「動かないでいるためには人間の身体を最高度に動かさないといけない」

坐禅は動かないものですが、動かないでいるためには、常に体のバランスを自然体でとる必要があり、バランスをとるために、動かないという動きを続ける必要があります。

じっと動かないのではなく、むしろ動くことで坐禅の型を維持するという考えにハッとさせられました。

若い仏僧が書いたある本の中で”禅の修行なんて全然おもしろくないと思っていたけどこの本を読んでそのおもしろさに気づいた”と紹介されていたことが、私がこの本を読もうと決めたきっかけでした。私のように坐禅を始めて1、2年のビキナーが、もっと座禅を深く知るための格好の一冊です。