2019年の末、薬学の勉強の合間を縫って、坐禅の本をめくっていると、こんな素敵な言葉を見つけました。
円(まどか)なること太虚(たいきょ)のごとく、
欠くること無く、余ること無し
「〇」とは大空(太虚)のように境目がない丸のことで、だれにとっても過不足なく、すべて一体である、という意味だそうです。
頭の中で反芻した瞬間、あ、これだ、と思いました。2020年はこれを大切にしよう、そうしよう、と。すべて一体で過不足のない状態。これを目指したい。えらい抽象的な話ですが。
と、まあ、大層なことをいっているようですが、正直なところわたしは「〇」の意味がさっぱりわかっていません。
そんな折、『参禅入門』(大森曹玄著)という本に、曹洞宗と臨済宗のちがいについて書かれたくだりがありました。本書が引くある老師の言葉によれば「臨済禅は向上的修行、曹洞禅は向下的修行」だそうです。
おもえば、わたしは(無宗派ですが)曹洞寄りです。読んでる本が曹洞宗のお坊さんの本です。そのくせ、通っている寺は臨済宗です。では、臨済の禅とは?臨済宗の用いる「公案」の意味とは?2つの禅宗は、上る山は同じでも、その上り方が異なるようです。
今年は臨済についてもう少し知りたいと思いました。
元旦ですから、ペンタブで書き初めをしました。
2020年、わたしの「〇」。
欠くることなく余ることなし、の精神で1年を送ります。