てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

「わたしは治るのでしょうか?」の答え

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コロナウイルスの感染防止のため、外出自粛しています。家にいるしかないので本を読んでいます。

今日読んだのは『不安でたまらない人たちへ』(ジェフリー・シュウォーツ)です。

タイトルからはわかりにくいのですけど、強迫性障害の行動療法について書かれた本です。

 強迫性障害(OCD)とは、例えば手が汚いという脅迫的な気持ちが沸き起こり何度も手を洗ってしまったり、

閉じたはずの家のドアや火の元栓を何度も確認せずにはいられなかったりする病気のことです。職場の勉強の一環として以前購入しました。

本書の中で、とても興味深い一節がありましたので、ちょっと長いのですが引用します。

とりわけ治療の初期によく出る質問がある。「わたしは治るのでしょうか」という問いだ。これまで、勇気ある患者さんの例で説明してきたとおり、かならず治るとは断言できないし、治るという言葉の意味が二度と症状が出ないということなら、なおさら保証はできない。だが治るというのが、二度と症状に怯えて逃げたり、OCDという暴君に人生を翻弄されたりしなくなることを意味するのなら、基本的にはすべてのひとが治る可能性をもっている(これはまちがいない。OCDが治った例をたくさん見てきたわたしとしては、これを疑うことはできない)。

治らない病気というのは、この世の中にたくさんあります。多くの場合で、病とうまく付き合っていくしかありません。

思えば、怒りとか恐れとかそういうあまり歓迎されない感情も、

生きている限り心に生まれてくるものです。

坐禅をすると怒りや恐れがなくなる、というイメージがあるかもしれません。

残念ながら、坐禅で怒りは消えないと思います。

ただ、先述の著者の言葉を借りるなら、

怒りや恐れに翻弄されにくくなる。

その意味であれば、坐禅は確かに効果があると思います。

怒りや恐れは生きていく上で大切な感情です。

その感情を捨てるのではなく、それによって身を滅ぼさないようにする。

坐禅はとても合理的な処世術だと思います。