てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

ゴディバ・ジャパンの社長の禅と弓修行

 

ビジネス雑誌「ダイヤモンド」の9月16日号の特集、「最高の瞑想」は、雑誌としてはおどろくほど情報が充実していました。なかでも、禅の広まった過程を紹介したマップは読み応え十分です。本書によるとアメリカで禅が広がったのは、いくつかの社会的な背景があるようですが、禅の考え方を自分の仕事と日常に応用するという姿勢が大きかった様子がうかがえます。

アメリカでは「Zen and ***」という書籍が1000点以上あるそうです。なかでも有名なのが「禅とオートバイ修理技術」「禅ゴルフ」です。禅ゴルフはビジェイ・シンというプロゴルファーが全米の賞金王になった時に「メンタル強化のためにこの本をずっと読んでいた」とコメントしたことからブームになったそうです。なんと、どちらの本も邦訳出版されています。

 

グーグル社が瞑想を社内トレーニングに取り入れているように、瞑想と禅がビジネスパーソンにとって身近であることは、こんにちではわりと広く知られた事実でしょう。本誌の特集では、ビームスの社長や、ゴディバ・ジャパンの社長が登場してインタビューに答えていました。

 ゴディバ・ジャパンのジェローム・シュシャン社長は若い頃の永平寺での禅体験を経て、29歳で弓道を始めました。座禅は精神的な変化を「形」として捉えにくいが、弓道は形として修行の成果を実感しやすい事が良かったといいます。 正しい射をおこなえば矢は必ず的を射抜くという「正射必中(せいしゃひっちゅう)」の精神を心がけることで、ジェローム社長は7年間で売上を3倍に伸ばしました。その骨法をインタビューでは次のように答えています。

弓道には「的は鏡」という言葉もあり、「自分の射を客観的に評価してくれるのは的である」という考え方を示しています。これをビジネスに置き換えると、まさに「お客様は鏡」ということになります。

ビジネスにおいてうまくいかないとき、根本的な原因は「内なる自分」にある、とジェローム社長は考えるそうです。ビジネスにおいては事がうまく運ばない事もある。そういう時は自分自身を見つめ直すことで、次なる成長につなげていけるそうです。

いまの自分に、とても刺さるものがありました。

修験の山


朝、起きると、前日の大雨はやみ、青空から陽の光がさしていました。宿泊した美術館のようなホテルで、朝ごはんをとり、温泉の露天風呂につかり、書籍に囲まれた図書室で前日読み逃した社会学の本を読んで、それから、山に向かうことにしました。山岳信仰、山伏修行の地、羽黒山

羽黒山は、近隣の月山、湯殿山の二山と合わせて出羽三山と呼ばれています。3つの山を巡ると、生まれ変わるといわれており、古くから民衆の信仰を集めてきました。わたしが出羽三山を初めて知ったのは、妻が仕事で羽黒山の取材記事を書いたことがきっかけで、いつか一度は自分も行きたいと思うようになりました。今回、家を発つ前に妻が書いた記事を読み返すと、そこには「験力」(げんりき)という言葉がありました。験力とは山伏が修行によって得る超人的能力(?)のようなもので、驚くべきことに今でも験力の強弱を競い合う「験くらべ」という風習が残っているというのです。白い法衣をなびかせて崖の上で法螺貝を吹く、まるで天狗のような山伏が存在するのだろうか。想像すると気持ちが高ぶるのを感じました。

荷物を宿泊予定の宿坊に預け、リュック一つで羽黒山に入りました。隋神門という名の朱色の門をくぐると、杉に囲まれた急な下りの石階段が現れ、そこからしばらく平坦で、のんきに歩いていると、だんだん上りの階段が険しくなってきます。

階段は一気に急勾配になりました。それはまるで目の前に立ちはだかる壁のようで、何度写真に収めようとしても、撮影した写真は平凡な石の階段で、その迫り来る迫力を表すことはできませんでした。江戸時代に作ったものそのままだという石の階段は、段差がばらばらであることで歩きにくいうえに、階段が急になると縦の幅が急激に狭くなり、26〜27センチのわたしの足では収まらなくなりました。石段を一つ一つ登っていると、ふと頭がくらっとしてしまう瞬間があり、このまま後ろに倒れたらきっと死んでしまうだろう。そんな恐怖心に何度も襲われました。いつもならなんでもないリュックのわずかな重さが、自分を後ろに引きずり倒す不吉な手のように思えて、ますます命を握られているような気持ちになりました。資料によると石段は頂上まで2446段。頂上までの道のりは1時間半とされていますが、実際は1時間ほどで着きました。ただ、ただ、登るので精一杯で、なにか深いことを考えるような余地はありませんでした。

頂上には資料館があり、修験道について数々の説明が記されていました。しかし、どの解説を、何度読んでも、修験道というものが、まるで霞みにかかったような、つかみどころがないもののように感じました。山を信仰とするとは、どういうことなのか。川を渡り、滝に打たれ、険しい山道をゆく。命を落とす危険と隣り合わせで営まれる修行で、修験者が得る験力とはなんなのか。

昼は山中で精進料理を、夜は宿坊でまた精進料理をとりました。イタドリやワラビなどの山菜、そしてどちらにも酢で和えた食用菊が差し出されました。菊の花は菊花(キクカ)といって、昔から漢方薬で使われている生薬の一つです。宿坊での夕食時、配膳した女性が「山形は食用菊が特産なんです。これは『もってのほか』という品種の食用菊です」というので、え?もってのほか?と思わずわたしが聞き直すと、「”もってのほか美味しいから”だそうですよ」と笑って説明してくれました。わたしはふんふんと感心しながら、いままでの人生でこれほど花を食べたことはないくらいの勢いで食べ続けました。