てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

『我慢』よりも『辛抱』しよう

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今日の都心は25度を超える夏日だったそうです。こちらの寺も緑がまぶしいのなんのって。お堂の裏庭で二羽の鳥が仲良さそうにグワグワと元気よく鳴いていました。

今日は老師が『我慢』と『辛抱』のちがいを説明されました。

曰く、『我慢』は我(われ)を押し殺すこと。我慢を超えると『辛抱』になる。辛抱は我慢とはちがい、我を押し殺さない。目の前のことをやり通すのみ。そして辛抱を超えると『三昧(ざんまい)』になり、自分というもの(我)がなくなる。

『我慢』は自分の気持ちを抑圧するイメージがありますが、辛抱は物事に耐えることに集中し、自分の気持ちをごまかしたり抑圧しているわけではない状態です。しかし、耐えると思っているうちは自分(我)というものが残っていて、それをさらに超えると自分(我)が意識から消える、つまり無心になれるというわけです。たぶん。

<我慢→辛抱→三昧>です。

何か辛いことがあったとき、自分がそれを『我慢』しているのか、『辛抱』しているのかを自問するとよさそうですね。老師は『辛抱』こそが大切とおっしゃいました。

坐禅も一度やってみて辛いからやめた、ではいかんぞと。