てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

柳は緑、花は紅。お前は何?

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坐禅会に行ってきました。徐々に日が落ちるのが早くなるこの時期は、坐禅が終わるとちょうど写真のように夜のとばりが下りるころで、空が複雑な色合いに染まります。月もとてもきれい。

今日の坐禅会は老師は欠席でした。足の手術をしてから坐禅会で見たことがありません。数週間前に、車いすで境内を移動する老師を見かけました。心配です。

老師の代わりにベテランの僧の方が会を仕切りました。

今日は気温が高く坐禅中もちょっと蒸し暑く感じました。時々吹き込む外からの風の涼しいこと、心地良いこと。ついついウッツラウッツラ・・・寝てしまいそう。

坐禅が終わると、僧の方が、

「柳は緑、花は紅といいますが・・・」

と話し始めました。柳は緑色、花は紅色。そんな当たり前のことに美しさを見出すことを思い出してみてはどうか。坐禅中に吹く風のなんと気持ちのいいことか。坐禅をして、ふだん忘れている大切なことを見直すきっかけにしてほしい。・・・というようなお話でした。

あとで調べたところでは、『柳は緑、花は紅』は禅語だそうです。

柳はあまり前に緑、花はあまり前に紅。そこでふと思いました。では、わたしは何だろう?当たり前のわたしとは?

禅の世界では、”わたし”というものは存在しないと考えます。生物学的にいっても、わたしというものは刻一刻と変化します。「わたしは何か」と考えても、自分には上手な答えは出せそうにありません。さてどうしよう。

そうだ、「わたしはどうあるか」についてなら、表現することができそうだ。

夕空を見てきれいだなと感じるわたし。車いすの老師を心配するわたし。坐禅中に寝てしまうわたし。あたりまえのわたしとはなにかを考えてしまうわたし。

これがわたしです。気が付けばわたしは、こんなエモい内容のブログを書いて、今日も充実した一日を過ごすことができました。

命があり、当たり前のわたしを過ごせたことに、感謝しようと思いました。