てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

なぜ僧侶は「ひき逃げ」したのか

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「車のひき逃げがあって、犯人を逮捕したら、お寺の住職さんだったんですって」

早朝の座禅を終えて、寺町にある馴染みの飯屋で朝食をとっていると、カウンター越しの店主が私にそんなことをいってきました。

「え!ここら辺ですか?」

「ううん。ネットのニュースで見たの」

あとで調べると先日の茨城県で交通トラブルからそのような事件があったことを知りました。

「寺のお坊さんがひき逃げ・・・」

聞いてギョッとしました。普段、どんなに立派な講釈を述べても、いざとなったらこの様です。ネットで「僧侶 ひき逃げ」と検索すると、各地で僧侶のひき逃げ事件の記事が出て来ました。僧侶、意外とひき逃げしてる説・・・。

口ではいくらでもよいことを言えます。文章ではどこまでもよいことを書けます。しかし、一番難しいのは、よい行動し、それを続けること。最近、仕事でもそんなことを痛感する機会があり、ひき逃げ僧侶の話は、どこか他人事には思えませんでした。そもそもこの日は、仕事に追われてどこか乱れ気味の心身を整えるために早朝座禅に出向いたのでした。

夜明けの空は鳥たちの独壇場です。お寺のお堂にも鳥たちは忍び込んで、元気よく羽を羽ばたかせて鳴きます。それが時間とともに、鳴き声が減り、人間が活動する時間になる頃には一切聞こえなくなります。それはちょうど、学校のクラブ活動で時間ごとにグランドを利用する部活動が入れ替わるようなものです。

朝の光は柔らかく、緑はとてもよいあんばいに輝いて見えました。この清々しさを忘れないようにしようと思いました。