てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

去っていく妹に座禅を教える

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私とはかなり年の離れた妹が、夫の仕事の都合で日本を離れ、ヨーロッパに行くことになりました。数年は帰国しないそうです。まだ2歳にも満たない子供を抱えた彼女の行く先は、イギリスやフランスといった大国ではなく、日本ではほとんど耳にしないような、とある小さな国の一つで、いつもどこか能天気な性格の我が妹が、地図でしか見たことのない謎に満ちたその国で、無事に生活できるのかどうか、このところの私は心配な気持ちを手放せないでいました。

我が家では「おっちょこちょい」な人間として扱われている妹だから、英語さえ通じないその国で犯罪に巻き込まれるかもしれないし、大きな事故を起こしてしまうかもしれないし、それで、もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれない。ごく最近になって彼女からヨーロッパ行きの航空チケットを予約したという連絡が来て、日本を離れることがいよいよ現実のものとなってから、不吉な予感が頭をよぎるようになりました。

ところが、先日、久しぶりに実家で妹に会ったことで、私の彼女への印象はすっかり変わることになったのです。結婚し、子供を産み、立派な一人の成熟した女性になった彼女は、いつも母親に「あの子は大丈夫かしら」と心配されていたころの姿を私に見せることはもうなくて、一人息子を器用にあやし、食事を与え、余裕のある姿で家事をこなしていたからでした。

「お兄ちゃん、私、会社を辞めたの。帰国したら、また同じ職場に復帰するつもり」

迷いのないさっぱりとした口調で近況を報告する彼女は、私が、そんなに都合よく受け入れてくれるの?、と懐疑的な感想を口にしても、当然でしょうとでもいうような顔で私を軽くあしらい、それはとても頼もしい存在にすら感じられました。

私はこれがきっかけで、常に親から心配されているという彼女への印象は、ひょっとすると親が私に染み込ませた、根も葉もない悪評だったのではないかと思い直すようになりました。考えてみると、彼女の人生についての大きな失敗談は、親や本人からこれといって聞いたことがないのです。それどころか、私が鮮明に覚えているのは、小学生の頃の彼女が、数々の習い事も、学校の勉強も、自分よりもずっと出来の良い人間だったということばかりです。

親の言うことに耳を塞ぎ、どうしようもないほど手のかかる子供だった私は、不思議なことに社会人になってからはいつの間か母の中では「しっかり者」という存在にすり替わっていて、その代わりに実家に一人残された妹が、スケープゴートのように「頼りにならない」という扱いになっていました。しかし、これはおそらく母たちの錯覚で、妹は本来的には、しっかりしているのだということを、その後の彼女の人生を見ていて間違いのないことのように思います。

両親と私の間では、妹の印象や思い出はまるで正反対で、なぜそうなったのかわかりませんが、一人の人間の評価というのは、同じ家族であっても大きく異なるのだということが、我が家では起きていました。そして、それを愉快に笑えるほど、私と妹の関係が良好であることを、私はとても嬉しく思います。

話をいま現在に戻すと、妹が日本を出国する少し前、実家で最後に彼女に会ったとき、私は座禅を教えました。現地で友人ができるかどうかという話になったことがきっかけでした。日本のイメージといえば、アニメとか忍者とか禅。座禅できますって言ったら人気者になれるよ。そんな私の、なんの根拠もない浅はかな思いつきに、彼女はそうだねえと乗り気で、私のいうことを聞いてその場ですぐに人生初の座禅に挑戦しました。それは私にとっても、他人に一からしっかりと座禅のやり方を教えるという、おそらく初めての経験でした。いつも姿勢のいい彼女の初めての座禅姿は、いかにもサマになっており、そばで見ていた母親も、あらいいじゃない、と褒めていました。

その後、何度かのラインメッセージのやり取りをして、今日、彼女は日本を発ちました。飛び立つほんの40分前に、「今空港到着!」という最後のメッセージをラインに残して。