てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

葬儀屋と夏の思い出

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9年前、市中病院のベッドの上で、たくさんのチューブにつながれた父が静かに息を引き取ったとき、不思議とそれが、昼だったのか、夜だったのか、覚えていません。ただ、そこからは全てが慌ただしく、私は悲しみに暮れる母の代わりに親族に頭を下げたり、右も左もわからないまま葬儀屋に電話をかけたりして、親族の重苦しい視線を回避するように、残された家族を何かから守るかのように、とにかく必死でした。そして、たしか深夜になって、連絡のついた葬儀屋に向かうために妹と母と一緒に乗り込んだタクシーで、ヘッドライトを照らしながら走る場所もしれない夜道の続く先が、我が家の未来を暗示するかのように、どこまでも深い闇に覆われていていたことだけは、今も鮮明に記憶しています。

タクシーが止まった先は、プレハブ小屋のような葬儀会場を兼ねた葬儀屋でした。ただ広いだけの、がらんとした、そのくせ妙に天井の高い殺風景な建物内の部屋の隅に、4〜5人がけのテーブルとソファが申し訳程度に置かれていて、そこに私と母と妹は並んで座りました。葬儀屋の、私よりも少し年上に見える男性が、そつのない口調で色々説明をし、それを私たちは、まるで学校の先生と生徒のように、ただ聞いているだけでした。ただ、宗派はどうしますか?と聞かれた瞬間は、3人で顔を見合わせて、さあどうしようかと悩みました。父方の祖母の葬儀も、母方の祖母の葬儀も、それぞれ異なる宗派で、自分たちも無宗教です。父の死はどこかで覚悟はしていたけれど、まさか宗派の選択を迫られるとは全く想像もしていなかったのです。どこでもいい、というのが3人の本音であり、私が「宗派によって何が違うんですか?」と聞いたのか、あるいは3人の困った顔を見て、葬儀屋の男性が口を開いたのか、覚えてはいませんが、男性が「浄土真宗というのは、死を不吉なものとして捉えないんですよ」というようなことを言って、その一言で、私たちは、そんな宗教があるのかと驚き、そして不治の病に冒されて延命することなく自らの死を受け入れようとしていた父のことを思い出し、全員一致で浄土真宗に決めたのでした。その後、葬儀屋が手配してくれた僧侶に会うことになり、その僧侶は私の中の僧侶へのイメージを一変させるような、素晴らしい人で、以後何度かお世話になるのですが、それはまた別の話になります。

そのときから9年経ち、今年も、父を失った夏を迎えました。妹は海外に、母は一人暮らしで、私と妻は、久しぶりに二人だけで父の墓に花を手向けました。墓地は電車とバスを乗り継いで、少し坂を上ったところにある西洋風の霊園で、エメラルドグリーン色の、一部の隙もないように整えられたコニファーの木々と、遮るもののない広い空が、どこか異国を思わせるような場所で、ただ、この日の空は真っ青で、ひどい暑さでした。この場所に来る時は、いつも夏雲が立派で、青空で、同じ風景だけど、それが妙に安心感を与えてくれます。

9年前のあの日、闇夜をひた走るタクシーの中で、このままタクシーが、どこか恐ろしい異世界へ自分たちを連れ去ってしまうのではないかと思うほど、不安な気持ちでいっぱいだったのに、私たち家族の人生は、川の流れのように過ぎてゆき、今は全てが過去のことになっています。

夏の容赦のない強い日差しの中でギラギラと輝く灰色の暮石の屈強さや、灼熱の気温の中でも衰えを見せない緑の芝の生命力が、泉下に眠る父の決して幸せだったとはいえない仄暗い最期と比べて、ひどくちぐはぐなように感じました。

 

※墓参りは緊急事態宣言前のことです