てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

報われなさの1年を終えて

年始のブログ記事を振り返ると、2022年の抱負は「言葉を超えて『空』を考える」でした。けれども振り返ってみれば、よくもわるくも心がかき乱され、もがき、苦しみ続けた一年だったように思います。

10年ともに暮らしたウサギのクロが初夏に他界したことは、その中でも特に気持ちが滅入ることでした。どうしようもないと理解しつつも、考え始めると深い悲しみに溺れてしまうため、あまり考えないようにしています。すっかり寒くなって押入れから取り出したブランケットにクロがかじって空けた穴のあとを見つけた時も、年末の部屋の掃除をしていたらクロの小さな丸いフンが洋服棚の裏から出てきた時も、それ以上は考えないように自己防衛している自分がいました。

訃がなくても、常に追われているような一年だったことも確かです。昨年は書籍を出版したあと、数ヶ月は時間をもてあますような日が続きましたが、それもつかの間、年明け早々から大きなことに取り組み始め、仕事も私生活も、あれもこれも、たくさんの新しいことに手を出して、興奮したり、憂鬱になったり、そのくせ何一つ確かな形にできないまま、あっという間に一年が過ぎてしまったような気がします。

一年の後半は、”自分らしくない”ことに取り組み続けた年でした。今まで抱えていた自分というものを一度手放そうと努力した。そういう意味では、”空”を多少なりとも実践できたともいえるのかもしれません。寺通いはぼちぼち、家での座禅もぼちぼちやりました。新しい学問を本格的に学び始めました。山形の修験の山を経由して秋田の友人の家に向かう、なんて一人旅行もしました<写真>。私は自分の努力を振り返って自分で褒めるような性格ではないのですが、報われなさを抱えたまま終わる今年だけはわれながら頑張ったなあと、励ましてあげたいように思います。がんばった。

来年も一年を、ちゃんと全うできますように。