てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

2024年の抱負は「謙虚」

おけましておめでとうございます。

股関節を痛めてしまった2023年の後半は、座禅ができないもどかしさを抱えた一方で、『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』という良書に出会う幸運に恵まれて、この本を契機として仏教の概念が自分の中で徐々に整理されていった、そんな一年だったように思います。

そして、仏教の概念を考えるなかで、今まで思いもつかなかった疑問が湧いてきました。

仏教にとって、坐禅という行為は果たして必要なのだろうか?というものです。私は仏教徒ではなく、好きで坐禅をしています。ですから、坐禅は楽しければそれでいいと割り切ることもできるのですが、しかし、坐禅という行為の意味をもっと知りたいという気持ちもあります。本来、禅宗は仏教の中の教えの流派の1つであり、マストな存在ではありません。そんな今更・・・という疑問ではありますが、どうでしょう。

座禅と仏教概念という、この2つの点を、自分の中で少しずつ近づけていきたいと思います。

さて、2023年の私的テーマは「省みる」でした。手帳に反省点などを書き連ねることが習慣になり、自分なりの「省みる」を実行できたように思います。大変なこと、辛いことも、たくさんありましたが、変わっていく自分に手応えを感じることのできる1年でもありました。充実した一年だったと言えます。

そして、2024年の抱負は「謙虚」です。昔はこの言葉に抵抗感がありました。日本では美徳とされる言葉ですが、私には弱々しさや、卑屈さを感じさせる表現でした。しかし、ようやく、謙虚であることの美徳さを感じることができるようになりました。歳を重ねたことや、新たな学びを得たことで、そう思えるようになりました。

私はこう考えます。謙虚とは、威勢を張らないとか、自慢しないといったような、他者からどう見えるかの問題ではない。自分自身が驕りや虚栄を捨てて、他者から深く物事を学ぼうという気持ちにどれだけ徹することができるかという問題である。

本年もよろしくお願いします。

メリークリスマス&ペイフォワード

今週は寺町の料理店に、およそ1年ぶりに行きました。入店するとすぐに、7、8席がぎゅうぎゅう並ぶ小さな店のカウンターから、さらに小さな店の主が「お久しぶりです」と笑いました。ご無沙汰してます、忘れられないように来ましたと私が言うと、「ええ?忘れませんよ。安心してください」。とはいえ、最後に来店してから、もう1年以上経ちます。

2年前は足繁く通っていました。元々、ガイドブックなどに何度も掲載されている地元の有名店です。味はよい。早朝に寺で座禅して、朝から開いているこの店で朝食を取るのが、月数回のルーチンでした。しかし、昨年は、寺に行く機会が減ったことや、店の営業時間が短くなったことなどが重なり、顔を出すことはめっきり減りました。

それが、2023年がもうすぐ終わるという最近になって、私は小学校の机の中に放課後置き忘れた筆箱のように、自分にとって大切なこの店のことをハッと思い出しました。今年中に一度は店に行ってお金を使おう。私なりの感謝の気持ちとして。

この日は、日替わりランチ、それから紹興酒を注文。お酒は利益率がいいから。お茶のおやみげも購入。本当はもう少しお金を使いたかったけど、あいにく私のお腹はすでにいっぱい。

ふと、「ダイバーシティ」と書かれたアジアの缶ビールを紹介した紙が、カウンターの正面に貼られていました。そうだ、こうしよう。会計を済ませながら店主に言いました。

「今日はお金を落としに来ました。だからもうちょっと注文したかったけど、もうお腹いっぱい。このビールを自分が買うので、次、この席に座った人にプレゼントしてもいいですか?クリスマスプレゼントということで。すみません、もし面倒でなければ」

「ははは。わかりました。でも、その人がお酒を飲まなかったら?」

「任せます。他の人にでも。これはペイフォワード?」

「ペイフォワードですね」

 

べつに格好をつけたいとか、いきな客にみられたいとか、そういう気持ちは全然なくて、自然とそうしようと思いました。

理由をあげるとするならば、あれは高校生か大学生の頃か、私は一度、別の場所でペイフォワードを受け取っています。

高校時代の担任に、Tという名前の体育教師がいました。当時、おそらく40代。達磨のようなむっくりした体、ダミ声、陽気で明るい担任でした。T先生は高校のOBだったので、私たち生徒の先輩でもありました。

あるとき、一人の女子生徒が図書館から古い卒業アルバムを掘り起こして、高校時代の先生の写真を見つけました。そこに写っていた17歳の先生はスッとした輪郭の、彫りの深い美男子で、女子たちは思わず小さな悲鳴をあげ、そして今や達磨になった40代の独身男とを比べて、時の流れの残酷さに打ちひしがれたのでした。

さて、ペイフォワードの話です。ある日の昼、私が高校の隣駅の近くで、最近見つけたばかりの小さな定食屋に入った時のことです。入店して、ハッとしました。私がいつも座っているカウンター席に、偶然、先生がいたのです。

おおっ!久里じゃねえか!食事中の先生はダミ声で叫びました。「えっ先生!すごい偶然ですね!」と私がいうと、先生はカウンター越しの店主に、「なに、こいつよくここに来るの?」とたずねました。それから何を話したのかは覚えてません。

しばらくして、昼飯に私が再びその店に行くと、店主が言いました。

「前回、学校の先生とお会いされてましたね」

「そうなんです、びっくりしました」

「今日はお代は結構です。先生が前回、払っていかれました。あいつが次に来たら、奢ってやってくれって」

 

この時のお礼を、T先生に伝えたかどうかは覚えていません。それから15年くらい経ったある日、高校の同級生のメーリングリストが届きました。先生が突然倒れて、そのまま帰らぬ人になったという訃を伝えるものでした。