てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

さよなら、愛しのうさぎさん

朝、目覚まし時計が鳴るよりも早く、ふと目が覚めて、もう少し寝ようかと思ったけど、すぐにうさぎのクロのことが頭をよぎりました。クロ、体調悪いんだ。起きて、様子を見なきゃ。リビングのケージを覗き込むと、うさぎはじっとしてました。少し前に突き出た右の前足に頭を乗せるように首を大きく傾かせ、体は伸びて寝そべっているのに、目だけがぱっちりと開いている。珍しい格好。でもちょっとかわいいな。まだ寝ている妻にあとで見せようと思って、スマホで写真を撮りました。それから、おはようクロ、といって、頭を撫でました。ところが、いつもなら、鼻を上げて、自分からスリスリとしてくるのに、どういうわけかピクリとも動きません。

どうしたのクロ、と呼びかけながら背中を撫でても反応がありません。緊張しているのだろうか。体調が悪いのだろうか。まるで魔法にかかって、一夜の間に剥製になってしまったかのようなクロ。もう一度呼んだ名前は、大きく見開いた黒い目に音もなく吸い込まれていくようでした。そこで私は、今振り返っても、ようやく、としか言いようがないほどの時間をかけて、クロの命が尽きていることに気づいたのでした。息をのみこみ、頭が真っ白になり、寝室に走り、詰まるような声で妻を呼びました。クロが死んだ・・・かも・・・。

まだ体が温かい、死後硬直だね。そう言いながら、棒のように横にピンと伸びたまま硬くなったうさぎを抱きかかえる妻の悲しそうな姿を見ても、私は実はまだ生きているのではないかという気がしていました。確かに、反応はないけど、ひょっとしたら病状が悪化して、神経が痛んで、体が動かないだけで、意識はあるのかもしれない。手を触ったり、呼びかけたり、撫でたりしながら、確かめました。 なぜなら、前日までの私は、クロはもっと生きると思っていたからです。6月5日、日曜日の朝7時半のことでした。

振り返れば4月の最後の日、季節外れの冷え込んだ朝から体調を崩したクロは、わずか1週間で、ほとんど何も食べられなくなり、私は仕事の合間や休日に動物病院に通う日々で、お金も時間も、あっという間になくなっていきました。薬や、高カロリー食を水で溶かし、スポイトで無理やり与えるという生活が2週間続き、そして、体調が少し良さそうな日と、悪そうな日を繰り返し、一進一退の回復を続ける日々。しかし、3週間を過ぎたころから、食欲が本格的に回復して、これはひょっとすると、持ちこたえそうだと、私は密かに思っていました。

食欲不振の峠を越えたクロは、私たちの姿を見るとケージの中で勢いよく跳ね上がり、万歳の恰好をして餌をせがみました。とにかく草の一つでも多く食べさせなければいけないと思っていた私は、ペットショップで数種類の餌を買い込んで、何かの動物実験のように、これは食べた、これは食べない、と餌やりの検証をするようになりました。

ある日、安定しないクロの食事に、なにか次の手はないかと、家のすぐそばの大きなペットショップをうろついていると、チモシーの栽培セットを見つけました。ちょっと面白そうだな。好奇心を掻き立てられて購入し、ペットショップを出たところで、偶然、夕飯の買い物を済ませた妻に会い、「チモシーを育てて食べさせてみることにした」と買い物袋から栽培セットを取り出して見せると、わたしもクロように草を鉢で買おうと思っていたからちょうどいいね、と言いました。ところが、家でフタを開けると、中の説明書にチモシーが育つまでに4週間もかかると書いてあるではないですか。4週間!?1ヶ月後もクロが生きている確証が全く持てないわたしが、そのことを妻に話すと、妻は思い出したように「そういえば、クロが死んだら、火葬する?お墓は?」と言い、ああ、一応決めておかないといけないな、と思いながら、行政に渡せばいいんじゃないかな、と話すと、妻も、まあ、そうだね、と言いました。

劇的に回復したクロの食欲は、我が家の一大事で、私たちを大いに喜ばせました。ちょうど私が神社にお参りをして、クロのことをお願いした前日からだったと記憶しています。そこから先は、下痢は時々するものの、食欲は旺盛で、水もよく飲みました。

ところが、です。 食欲の改善と入れ替わるように、病後、弱り気味だった後ろ足の自由がきかなくなっていったのが、このころでした。ある朝、いつものようにクロをケージから出して、リビングに置くと、ベランダに向かって走ろうとするのに、後ろ足の踏ん張りがきかず、まるで水面でもがくカエルのように、フローリングの上をはうように手足をバタバタとさせて力尽きてしまう、ということがあり、私はあまりのショックに、ええええ、と自分でもよく分からない声が思わず口から出ました。そこからは、もう、急な坂道をただ転がるように、クロの体は動かなくなっていき、ついに、ケージの中のトイレの、わずかな段差さえも自力では上がれなくなりました。

クロが生きた最後の1週間は、あっという間でした。

5月30日月曜日、テレワーク中の妻が昼休みに病院に連れて行ってくれました。脱腸のような赤い肛門のケアや、足のリハビリの方法を教えてもらい、新しい薬をもらいました。 木曜日、トイレにいけなくなったクロのために、私は朝からタオルを買い込んで、せっせせっせととりかえてはタオルを手で洗って、を繰り返しました。夜、まるで人間が、腹痛で唸る時のような、クゥゥゥという声でクロが鳴き始め、私は慌てふためきました。痛いのか、どうなのか、まるでわかりません。そばで見守っているうちに、ほんの30分ほどに感じられた時間は、気がつくと3時間が経っていました。

一夜明けて、金曜日に受診し、注射と点滴。鳴き声は、肺に異常がある可能性があるのでレントゲンを撮った方がいいかもしれない、というのが獣医の見立てで、一夜明けて土曜日、レントゲンを撮ると、肺に異常はなかったけど、背骨が変形していると、獣医は説明しました。足の不自由は背骨の状態が原因で、元に戻るのは難しいかもしれません。

介護が必要になる。私も妻も、そう覚悟しました。でも、私はちょっぴり、動けなくなったクロを一生懸命お世話するのも、嫌じゃないというか、それどころか妙にワクワクし始めて、病気になる前よりも、ずっとクロが愛しく思えました。あと数ヶ月の命かもしれないのだとしても。その日も、夜になると、クロは奇妙な声を出しました。いつでもラインで状態を教えてくださいね、と言ってくれた獣医に翌朝報告しようと、その様子を動画に撮りました。そして、それが、生きているクロを収めた最後のデータになりました。

妻とは以前話していた通り、クロの遺体は行政に引き取ってもらおうとしましたが、日曜日の役所は休みです。じゃあ、月曜日に電話すればいいか、と妻に相談しましたが、だんだん、妻のほうが、やっぱり、しっかりクロを見送るために業者にお願いしたいと言い始め、業者を呼ぶことにしました。二人で、クロの体を拭いて、妻は花を買ってきて、人参の葉と一緒に、クロのそばに添えました。健康な時はややでっぷりしていた黒い体は、ふた回りほどしぼんで、片手をお腹に入れて簡単にすくい上げられるような軽さになって、背中を撫でると凹凸のある背骨が手のひらに伝わってくるようになったのは気のせいではなく、去年まで2キロあった体重は1.3キロに落ちていたことを物語っていました。

獣医にラインで訃を伝えると、お手紙を書いて見送るといいですよ、という返事がきて、私は、そんな手紙だなんて、ちょっと感傷的過ぎじゃないかと思ったけど、その言葉に従い書くことにしました。でも、書くことで、クロへの感謝が、自分の中でしっかりと言葉にすることが出来ました。妻も、書きました。 クロの寿命を、私はあと数ヶ月先、妻は1〜2週間先、と見込んでいた私たちにとって、そう覚悟を決めた翌朝にクロがなくなることは、まるで想像もしていませんでした。私にとっては、まるで、時刻を間違えて、うっかり飛び乗ってしまったバスのように、クロは本来乗るべき便よりも、ずっと早く遠くへ行ってしまったように思えました。私は置いていかれたような気持ちです。

夜、会社から帰ると、業者への引き渡しは妻が全て終わらせてくれていました。クロの遺体が埋葬されるという千葉県のある寺のパンフレットがテーブルに置かれていました。いつか、その寺に手を合わせに行きたいな。私がそういうと、妻も「私もそう思った。クロの魂はそこにはないかもしれないけれど、体があるなら」と賛同しました。

翌日、大量の草、ペレット、マットやタオルなどを片付けて、がらんとしたケージを見ながら、私は、下宿していた男の子が出て行ったような、取り残されたような寂しい気持ちになりました。そのことを聞いた妻は、下宿かあ・・・それいいね、と私が驚くほどの笑顔を見せて言いました。だって、下宿した人とは、もう会うことはないけれど、どこかで元気にしていると願うことはできるのだから。

クロの世界と、私たちの世界

人間で言えば80歳くらいの老体にしては毛並みも良くて丈夫だったクロが、突然、食べることもできなくなったのは、4月30日の、いつもよりかなり冷え込んだ朝のことでした。あ、これは体調がかなり悪いんだ、と私が不安を覚えたのも束の間、数日の間にクロはほとんど何も食べなくなり、下痢を繰り返し、水に一切口をつけず、フンもわずかしか出さなくなり、私の中の不安は、あっという間に、もっと重くてつらい別の感情に変わりました。

 

「この時期のうさぎは”うっ滞”と言って、消化器の調子が悪くなります。うっ滞であれば、点滴をすれば、その日のうちに食欲が戻ります。うっ滞の可能性の方が高いかな」。3日目にクロを診てくれた馴染みの獣医は、そう言ってくれたけど、どこか慰めを含んだ嘘のように聞こえて、そうだったらいいなと獣医の言葉にすがるような気持ちでうさぎを眺めていたけど、1回目の点滴を打ったあとも、クロの体調は戻りませんでした。翌日になるとさらに食欲はなくなって、前日にもまして動けなくなりました。これはもう、明日の朝まで持たないかもしれない。4日目の夜、妻がそう言って、それでも食べさせないと死んでしまうからと、嫌がるクロを抱えながら、口に栄養のある液体を必死に流し込むたくましい姿を、私にはとても真似できないと思いました。

なんとか元気を取り戻してほしいという私たちの、私たちのための願いを、その小さな体では受け止めきれなかったクロは、強制的な食事の時間が終わり解放されるやいなや、リビングにある低いデッキの下に逃げるように潜り込みました。体力がなくなり、体の重ささえ支えきれなくなった前足を何度も床の上で滑らせながら、外の世界の全てから目を背けるように、頭だけをクッションの陰に突っ込んで、電池の切れたおもちゃみたいに止まってしまいました。いつまでもそうしていても仕方ないので、私たちがひろい上げてゲージに戻すと、いつもとは180度向きを変えて、私たちにはもう愛想が尽きたと言わんばかりに、お尻をこちらに見せて座り込みました。ご機嫌とりに私が頭を撫でると、不快感を表しているのか、あるいは体が痛むのか、ゴリゴリと鈍い音の歯ぎしりをしました。せめて少しでも食べて体力をつけて欲しいと私が差し出した、大好きなフルーツを盛った底の浅い小皿は、まだこんなに力が残っていたんだと思うほどの勢いで、顔で小皿をぐいとどかして、クロにとってはこれ以上ない態度で拒否を示しました。

こんなにはっきりと、意思表示を重ねられたのは、10年以上の生活を思い返しても、思い当たる記憶がありません。

ひと騒動終わったあと、じっとしているクロに、声をかけても、目の前に指を差し出しても、目ははっきり見開いているのに、視界に入っていないかのように、まるで反応がないことがありました。その姿を見て、クロの世界にいま自分はいなくて、きっとクロはクロの世界を精一杯生きているんだと思いました。

私は出勤前の朝の時間に動物病院に駆け込むような日が続き、寝不足になり、そのせいで頭痛になり、気を紛らわすために飲んだビールやコーヒーが、さらに寝つきを悪くするという悪循環になり、あっという間に疲れ果ててしまい、仕事をしていても、薄暗いケージの中でうずくまるクロの姿を思い浮かべて、今頃どうしているだろうと、考えてもしようがないことに、心を煩わせるようになってしまったけど、これらはクロにはまったく関係のないことで、クロは、変えようのない自分の運命に、ただ身を委ねているようにも見えます。

5日目、朝早くからクロを連れて動物病院に行った妻は、そこで点滴処置と一緒に獣医師から上手な薬の与え方を習い、専用のスポイトを買って、クロに前日ほどの苦痛を与えることなく、薬と栄養液をスムーズに与えることができました。そのあと大好物のリンゴを切ってあげると、前の夜の不機嫌さとはうってかわって、シャクシャクと美味しそうに食べました。ねえクロ、いま何を考えているの?