てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

お寺の価値は装飾ではなく場にある

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久しぶりに暖かかったのでお寺で坐ってきました。

坐ってスッキリ、さあ帰ろうとしたら、

境内に観光客の女性たちが数人。

そのうちの一人が、

「まあまあだね。すっごく感動した、というものではないな」

といい、もう一人が、

「そうでしょう」

と頷いていました。

確かにここは高名なお寺なのに、

分かりやすい立派さはありません。

きっと期待外れだったのでしょう。

でも、ふらっと来て勝手に境内を使って、

坐禅できるお寺は実は珍しいんです。

山の匂い、鳥の鳴き声、お堂の冷たい空気、軋む木床の柔らかい感触。

誰にも邪魔されずに全部を味わいながら坐れるのは最高の贅沢です。

全部を「勝手に味わっていいよ」と外に開かれている。

このお寺の価値は、そういうところにあるのだと思ってます。

これじゃない寺感

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今日はいつもとは違う駅で降りて別の寺に行ってきました。

とても有名なお寺です。

着いたら桜が咲いててびっくりです。こんなにひやいのに。

甘酒を飲んだりして、1時間くらい過ごしました。

でも、どうもしっくりきませんでした。

以前も来たことがある寺です。以前もしっくりきませんでした。

やっぱりわたしはいつものお寺が好きだなあ。

しっくりくる寺、そうでない寺。一体何が違うんでしょう?

一つ言えることは、

この寺は、わたしが通う寺よりも境内が汚いです。