瞑想したら世界が変わった

座禅を生活に取り入れてます。仕事に活かせるマインドフルネスをお届けします

夜の坐禅を邪魔する黒い悪魔、それは・・・

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朝夜の短い坐禅をルーチンにしています。元々やっていたのですけど、数ヶ月ほど仕事の多忙を言い訳に、これを怠っていました。最近再開して感じたのは、忙しい時こそ坐禅をしたほうが良いということ。このルーチンはわたしの日々の楽しみをひとつ増やし、それだけでなく仕事の質を確実に上げてくれています。

ところが、今日、衝撃的なことがありました。

今年に入っての雨・嵐のせいで、ベランダの側溝にヘドロがたまってしまい、水はけが悪くなっていました。そこで今日は午後からヘドロを取っていたんですが、そしたら、そのヘドロに浸かっていた木材の裏から出てきたんです・・・・

ゴキブリが!!!!

しかも2匹です。タイルの下に素早く身を隠したので、わたしは顔を真っ青にしながら(たぶんそうなっていたと思います)部屋に戻ってゴキジェットプロを探したのですが・・・ない。我が家はマンションの上階で、ゴキブリほぼ出ないので、常備していなかったんですね。

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再びベランダに戻ってタイルをめくるとそこには大きな黒いゴキブリが。こうしちゃいられんと、背中に嫌な汗をかきながら、ダッシュでドラッグストアに行き、凍殺して周囲が汚れにくいというコチラの商品を買いました。うちウサギがいるのであまり化学殺虫系は使いたくないので。

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 で、帰宅してタイルをめくってみると・・・いない!!そこに黒い生き物はもういなかったのでした。おそらくベランダに敷き詰められたほかのタイルの下に移動したのでしょう。もうお手上げです。

まだ、日の光が十分に差し込む15時ごろでした。明るいうちはいいのです。でも、日が暮れれば、きっとゴキブリたちは動き出すでしょう。

ベランダで坐禅できないじゃん(泣)!!!

本当はゴキブリ程度で坐禅ができなくなるなんて、てんでダメなんですけど、いまのわたしにはムリです。闇夜が怖いです。もう夜はしばらくベランダに出られません。

これを機会に、夜の坐禅は室内でできるように習慣化したいと思います。わたし外じゃないとうまく坐れないんです。これはやっぱりなんとかしたいと常々思っていました。ゴキブリが出たのは衝撃でしたが、せっかくの機会です。

奇貨置くべし。

 

 

坐禅は”自分”を解除する身体技法~『生死の覚悟』(高村薫/南直哉)を読んで~

今年刊行された『生死の覚悟』(高村薫/南直哉)を読みました。仏教とは、という宗教的な話が多かったのですが、わたしは宗教にはいまのところさほど関心がなく、やはり禅や禅寺に関する部分が強く印象に残りました。

特に、坐禅とは”じぶん”というものを解除させる身体技法であるという説明には「なるほど、そういう説明の仕方があるのか」と、蒙が拓かれた気持ちになりました。

一部を紹介しますと・・・・

南さんは「坐禅することが真理への道だ」と言うつもりはないそうです。ある身体技法を使うと自意識が大きく変容する、それを使えばそれまで苦しんでいた自己というものを一回解除する方法もある。みながこだわる自分というものにさしたる根拠はないことに坐禅を通じて知ってもらいたい。ただこの考え方は曹洞宗でも例外的なもののようです。

そして、坐禅を続けるのは自意識が作り物だということを確認し続けること。次に来たプログラムが絶対だと思ってはいけない。坐禅を維持するというのは、ある種の自己批判。そこからその都度、暫定的な新しい「自己」を立ち上げていく。坐禅をしてある程度のところまでいくと、簡単に自意識が変容するのを経験する。そうなると、どのような自分もまともに信じられなくなる。

・・・ということのようです。わたしのようにアタマで物事を考えるタイプの人間には、こうした言語化はとても受け入れやすいですね。また、わたしが日々の坐禅中に体感することとも一致しています。

もう一つ興味深かったこととして、南さんによると、禅宗の修行場として高名な永平寺の修行僧は1年目で目がキラキラと澄んでくるそうです。永平寺の1年目は、迷ったり考えたりをさせないシステムになっている。人間は強烈な縛りがかかると、実はものすごい自由を得る。迷いがなくなり、目がキラキラしてくる。永平寺の中では金や異性、地位と言った迷いの根本となるようなことを考えなくてすむ。そうすると、人間関係における揉め事は極端に減るそうです。ところが、3、4年経つとダメな人間は加速度的にダメになり、目が濁ってくる。自分の頭で考えて、きちんと問題設定できる人間だけが伸びていく・・・。

迷いがなくなると目が濁る、ということでしょうか。うーん、わかるようなわからないような。となると、迷いをなくすための坐禅が行き着く先は?・・・。

他にも印象的な言葉が沢山ありました。ご興味ある方は御手に取ってみてください。

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そして夏の坐禅が始まる

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今週から一気に暑くなりました。坐禅するにはチトきつい季節です。最高気温31度。境内は緑がギラついてます。

もっとも、寺は森に囲まれていますし、坐禅会場は直接日が差し込まない場所なので、風さえあればあんがい涼しいのです。それにひぐらしの鳴き声が聞こえると、なんだか小さい頃親と過ごした夏休みの旅行を思い出して、いとをかし。

今日は、普段は地方で修業しているというお坊さんが坐禅会を仕切りました。お話の調子がいつもとちがって、おもしろかったですね。

その方はたぶん30後半から40代だと思うのですが、坐禅をはじめたのはまだ7~8年前だそうです。社会人からお坊さんに転身なさったのでしょうね。ご自身の経験を話されました。

はじめて坐禅をした時は、いきなり1時間以上座ったそうで、足が千切れると思うくらい痛かったといいます。それに、坐禅中に動くと、警策で背中をバチーーーっと叩かれるので、3か月後には背中の皮がべろりとむけてしまったとか。きゃあああ。

だんだん慣れてくると、坐禅というのは本当に気持ちが良い。気持ちよすぎて眠くなる。そうすると、先輩からフルパワーの警策が飛んでくる。しかたなく甘んじて受ける。足の組み方は、あぐらは一見らくだけど、長時間坐禅をすると足がとても痛くなる。両足をももの上に乗せる結跏趺坐ができるようになると、姿勢がとても安定して、まるで幽体離脱したかのように、体がふわっとなる。

そんなお話でした。とても共感できました。わたしも坐禅は本当に気持ちがよいと思います。

この方は、たぶん社会人経験を経てお坊さんになったのだと思います。話がかみくだかれているといいますか、言葉遣いがフランクで、われわれの感覚にちかいところで語ってくれるので、「ああ、そうそう、そうなんだよね~」と相槌を打ちたくなります。

そういうお坊さんばかりだと味気ないですが、たまにはそんなお話もありがたいものです。

いやあ、坐禅ってほんとうにいいですね。

善光寺参拝の見どころ4選と宿坊事情

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今年の春に信州は善光寺に行ってきました。善光寺坐禅してみたいなーと思いまして。

一人旅行です。寺に泊まろうとしたのですが、あいにく宿坊はどこも1泊2名から。善光寺にある39の宿坊のウェブサイトを確認しましたが、すべて2名からと記載されていました。諦めきれず善光寺の事務局に電話をしたところ、

「以前は1人で宿泊できるところもありましたが、いまはどこも2名からになっているんです」

とのこと。かわりに付近の宿を2つ紹介され、そのうちのひとつ、松屋旅館を利用しました。ネットの評価はまずまずで、料理も接客も丁寧で値段相応。とくに不快な思いもせずにお世話になりました。なにより善光寺の山門まで歩いて1~2分ですから、このアクセスの良さは最高です。

善光寺といえば「お朝事」という朝のお勤めが有名です。毎日6時半ごろから境内で行われる法要で、善光寺詣での名物となっています。善光寺のサイトには次のように説明されています。

善光寺無宗派の寺院ですが、天台宗と浄土宗の山内寺院によって護持されていますので、お朝事もそれぞれの宗派の法要が1回ずつ勤められます。時間はおよそ1時間です。

わたしも早起きして参加してきました。お朝事では仏教音楽「声明(しょうみょう)」を聞くことができます。わたし今年、東京上野で真言宗の声明を初めて聞いたのですが、正直あまりピンとこず、今回の天台宗と浄土宗のそれも、あまり心を動かされませんでした。高野山の朝の勤行の方が迫力はありますね。いや、迫力とか、そういう問題ではないのですけど。でも、鳥と鐘の音に耳を傾けながらの朝の参拝は気持ちいいですよ。こちらの動画をどうぞ↓

善光寺にはお朝事以外にも見所があります。ぜひ見ていただきたいのが善光寺史料館に納められた仏教レリーフです。史料館の解説によると仏教レリーフ鎌倉時代に最盛したそうですが、わたしは関東にある鎌倉でこのようなレリーフを見た記憶がありません。わたしが知らないだけなのか、あるいは比較的珍しいものなのか。もとは善光寺に掛けられていたというこのレリーフ。その迫力ある出来栄えに感動しました。

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善光寺の境内にある輪蔵も印象的でした。輪蔵とは多面体構造をしたお経の書庫で、一度回せば収納されたお経を全て読んだことになると云われています。輪蔵自体は特に珍しくはなく、多くの寺にあるものですが、善光寺の輪蔵は重さ3.8トンもある超重量級。一人で回すのは一苦労でした。

この輪蔵、回せばお経を読んだことになるのだから、考えてみるととんでもない代物ですよね。なんともズボラな人達がいたものだ、としか昔は思いませんでしたが、こうして久しぶりに輪蔵を回しながら、ああこれは読み書きができない民衆に布教し救済するための工夫だったのだろうなあと今更ながら感心しました。為政者にとっては別の思惑があったとしても、輪蔵システムに救われた人々もいたでしょう。善光寺の輪蔵の前には、輪蔵を創案したとされる傅大士(ふだいし)の像がありました。読めば497~569年に生きた中国の僧とのこと。まさかそんなに古いとは。その時代に読み書きできる者は一握りだったはずです。読経せずに輪蔵を回せばいいという簡便さに反発もあったと想像されますが、史実はどうだったのでしょう。そんな傅大士の像が見れるのも面白かったです。

それから、善光寺は夜も山門が開いていまして、みなさん自由に出入りできます。わたしは夜8時ころにふらっと足を運んだら、夜の光に照らされた寺が闇の中であまりに幻想的だったので、おもわずベンチに座りボーっと眺めてしまいました。夜の善光寺は静まり返っていますが、周りがひらけているせいか、物騒な雰囲気はまったくなく、ここちよい静寂が身を包んでくれます。境内を眺めていると、スーツを着た会社帰りの人、ランニング中の人、色々な地元の方々が手を合わせていく姿があり、善光寺が地元の方々の生活に溶け込んでいる様子がわかります。これも善光寺旅行の見どころだと思います。

というわけで、概ね満足の善光寺参拝でした。郷土料理もおいしいものばかりで大満足。しいていえば、うまい蕎麦にありつけなかったことと、当初の目的だった坐禅をする機会がなかったことが残念です。

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専門道場で太極拳をやってみた

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都内の専門道場で太極拳をやってみました。初体験です。費用は1時間半で2000円。おもしろかったです。

 

坐禅が高じて、太極拳をやってみたいなーと、ふと思ったのが数週間前。坐禅太極拳って、一見無関係に見えますけど、じつは通じるところがあるんです。

坐禅のノウハウの一つに数息観(すうそくかん)というものがあります。呼吸を1,2,3・・・と数えることで気持ちを集中させる方法です。このときのポイントは、呼吸に意識を集めることです。吐いた時の腹筋の動き、吸った時に鼻を通る空気の流れ、それら一つ一つをかみしめるように感じとりながら、ゆっくりと呼吸を続けます。

身体中に張り巡らされた神経、筋肉に注意を払いながら、一つ一つの所作を丁寧に行うわけです。

これは坐禅中に限らず、禅の作法では、日常生活の様々な活動において、いまその瞬間の行為に意識を集中させることを大切にします(わたしの理解では)。

そうやって普段から意識していると、歩き方をはじめ、日常の何気ない体の動かし方も変わってくるんです。これは本当におもしろいですし、坐禅を始めてよかったなと思う瞬間でもあります。

 

さて、いまから数週間前の夜。いつものようにベランダで短い坐禅を終えた後にふと思ったんです。

「そういえば禅の動きって、太極拳に似てるんじゃね?」

太極拳のことは全然しりませんけど、あれゆっくり動きますよね。あの丁寧さが、ちょうど禅の精神に通じるものがあると直感的に思ったのです。

そこで今回、太極拳に挑戦することにしました。

で、実際やってみて思ったのは、やっぱりこれ禅に似ているなあということです。体幹をしっかり支えて、背筋は伸ばしながら、ゆっくり動き続けます。終わったあとは、坐禅後のように背筋がしばらく(翌日まで)ピーンとなりました。

講師の先生のお話では太極拳にもいろいろ流派があるようです。巷の主流は24式、つまり24の型があり、それをひとつひとつ学んでいくそうですが、99式あるところもあり、その場合は週1回通ってもすべてやりきるまでは1年はかかるようです。

一見ただの健康体操のように見える太極拳は元来武術なので、その動きにはちゃんと他者と戦う上での意味があります。

「挙げた左手は上からの攻撃を防ぐために斜めにします」

「こぶしは縦にして突き出します。太極拳では親指人差し指中指に力を入れます」

といった解説がおもしろかったですね。

平日にもかかわらず参加者は老若男女さまざま。ほかの太極拳教室も調べた上で、太極拳を学ぶかどうかを決めたいと思います。

 

 

家に帰ってから、鏡の前で復習してみました。自己練習は相当難しいです。ちゃんとやるなら通わないとダメそう。

それから、もう一つ思ったのが、太極拳の動きは徳島の伝統芸能阿波踊り」にも似ているのではないかということです。足の運びがつま先からだったり、腰を落として重心を下げる動きだったり、動く速さは阿波踊りのほうが俊敏なんですけど、重なるところも多いのではないでしょうか。わたしにとっては、どちらも所作が大変美しく魅力的です。

実はむかし、数年間、地域の阿波踊りの団体(「連」といいます)に所属していた時期がありまして、へたくそなりに徳島の阿波踊りの祭りにも連として参加して踊ったことがあります。いまは膝を壊してやってませんけど、太極拳が上手くなったら、阿波踊りもうまくなるんじゃないかな・・・・。そんな気がしました。ヤットサァァヤットヤット!!

 

映画『禅ZEN』~大海のなかで水を見ない~

禅 ZEN

禅 ZEN

 

禅 ZEN』という映画を観ました。鎌倉時代曹洞宗を開いた道元という禅僧の物語です。2008年製作。主演は中村勘九郎さん。わたしこの俳優さん好きなんです。

映画ですから史実とはかけ離れたところもあるようですが、全体としてはハラハラしながらおもしろく観ることができました。中村さんの所作の美しいこと。さすが歌舞伎役者。体を売り生計を立てる内田有紀さんの体当たりの演技も光っていました。

さて、物語は、中国に渡り、禅を学び、帰国後に布教するも、当時の仏教界との軋轢で、土地を転々とし・・・という道元の苦難苦渋の道のりからスタート。民衆の支持を得て人気が出てくると、武装した比叡山の僧たちが道元の寺におしかけ脅したり焼打ちしたり、もう散々。焼打ちの事実は確認できませんでしたが、比叡山から迫害されていたのは史実のようです。比叡山こわい。

で、逃げるように日本海へ向かい、福井県でかの有名な永平寺を開きます。名を上げた道元の元に、こんどは鎌倉幕府から思いがけない報が。「鎌倉に行ってくれ」。鎌倉幕府北条時頼に呼ばれ下向することになります。

道元は時頼と初めて相対し、そこで禅の問答が繰り広げられます。これがこの作品のクライマックス。権力闘争で心を病み、錯乱する時頼に云った道元のセリフが、私はこの作品で一番印象に残りました。

「大海のなかで水を見ないようなもの」

水の中にいるのに自分で目隠しをして水を見ようとしない。自分の胸に手を当ててみると、そういうことありませんか?わたしはあります。答えはそこにあるのに、それを見ようとしない、見えない。いけませんね。

史実の発言かどうかは知りませんが含蓄のある素敵な言葉です。

大海の中で水を見るという、当たり前のことを当たり前にすることのむずかしさよ。そこが禅が与えてくれる気づきでもあります。

劇中ではこんな言葉も出てきました。

『春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり』

この意味は、

「春は花が咲いて、夏はホトトギスが鳴いて、秋は月がきれいで、冬は雪があざやかで、ああいいなー」

ということのようです。ありのままを受け入れましょう、という教えの歌として登場しました。これは道元が詠んだ歌として歴史に記録されています。

鑑賞後、道元を見習って自分ももうちょっとガンバローと思える佳作です(なんて軽い発言・・・)。ご興味ある方は、ツタヤへゴー(もちろん『旧作』)!!

今日あなたをののしったあの人は

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先日、ある人から非常に心が傷つく言葉をぶつけられまして、その衝撃でふと、以前何かの本で見つけたとてもよい言葉を断片的に思い出しました。うろおぼえで、どこに書いてあったのかもわからないのですが、自分なりにアレンジしてここに記したいと思います。

 

今日あなたを、ののしったあの人は、あなたと同じくらい辛い事があり、あなたと同じくらい悔しい思いをして、でもあなたと同じくらい幸せを望み、あなたと同じくらい大事な人がいて、あなたと同じくらい毎日を充実して過ごしたいと願う、あなたと変わらない、ひとりのにんげん。

 

いつもこんな風に割り切れるほど私という人間は達観しているわけではないですけれども、こう思える瞬間を増やしていこうと思ってます。そのための”呪文”です。

坐禅というのは、心をとらわれないようにする行為だといわれています。

心はつねに色々な感情に揺さぶられて消耗します。感情に引きずられて心が穏やかではないときは、自分らしい判断やふるまいはできません。

自分らしい行動を取れる心構えの型を身につけられるのが坐禅のよいところだと思います。わたしは未熟者なので感情が揺さぶられること多々なのですが、それでも型を覚えたことは大きいですね。

一呼吸置く作業に、坐禅の呼吸法や、禅の考え方が役に立ちます。

冒頭の言葉も、その類書から見つけたものでした。バンテ・グナラタナの「エイトマインドフル・ステップ」だったかもしれません。八正道の解説書です。

8マインドフル・ステップス

8マインドフル・ステップス