てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

お寺の価値は装飾ではなく場にある

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久しぶりに暖かかったのでお寺で坐ってきました。

坐ってスッキリ、さあ帰ろうとしたら、

境内に観光客の女性たちが数人。

そのうちの一人が、

「まあまあだね。すっごく感動した、というものではないな」

といい、もう一人が、

「そうでしょう」

と頷いていました。

確かにここは高名なお寺なのに、

分かりやすい立派さはありません。

きっと期待外れだったのでしょう。

でも、ふらっと来て勝手に境内を使って、

坐禅できるお寺は実は珍しいんです。

山の匂い、鳥の鳴き声、お堂の冷たい空気、軋む木床の柔らかい感触。

誰にも邪魔されずに全部を味わいながら坐れるのは最高の贅沢です。

全部を「勝手に味わっていいよ」と外に開かれている。

このお寺の価値は、そういうところにあるのだと思ってます。

これじゃない寺感

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今日はいつもとは違う駅で降りて別の寺に行ってきました。

とても有名なお寺です。

着いたら桜が咲いててびっくりです。こんなにひやいのに。

甘酒を飲んだりして、1時間くらい過ごしました。

でも、どうもしっくりきませんでした。

以前も来たことがある寺です。以前もしっくりきませんでした。

やっぱりわたしはいつものお寺が好きだなあ。

しっくりくる寺、そうでない寺。一体何が違うんでしょう?

一つ言えることは、

この寺は、わたしが通う寺よりも境内が汚いです。

渋谷ハンズでロボットお坊さん「ロボウさん」と話してきた

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ロボットのお坊さん、「ロボウさん」が渋谷にいると聞きつけ、行ってきました、渋谷の東急ハンズ。23日からお寺イベントが開催されています。

ロボウさんとは、各地の僧侶が念力(インターネット)を使い、ロボット僧侶の体を借りて人々と話すマシーンです。

相談してもよし、何気無い話をしてもよし。と張り紙に書かれていたので、早速お坊さんとお話ししてみました。中の人は遠方のお坊さん。

 

私「こんにちは。はじめまして」

ロボウさん「はじめまして」

私「えーっと、なんでも聞いていいんでしょうか?」

ロボウさん「どうぞどうぞ」

私「最近、仕事疲れか、胃の調子がわるいんです」

ロボウさん「はいはい」

私「お坊さんはストレスで胃が痛くなる事ありますか?」

ロボウさん「ありますよ」

私「あ、あるんですね。意外です」

ロボウさん「しょっちゅうですよ、しょっちゅう」

私「しょっちゅうですか。そういう時はどうするんですか?」

ロボウさん「お医者さんに診てもらいます」

私「あっ、そこは普通なんですね」

ロボウさん「あははは」

私「坐禅や修行で胃痛で治すのではないのですね」

ロボウさん「病院で薬をもらいますよ」

 

とまあ、こんな感じでした。まあ、お坊さんと話しているのと変わらないんですけどね、フレンドリーです。動くロボットを前に、なんだかちょっと妙な気分でした。

こういうコミュニケーション用ロボットは増えていくんでしょうね。私は定期的にお寺に行っていますけど、普通はお寺もお坊さんも遠い存在ですよね。本当に話の上手なお坊さんの説法は感動します。そんなお坊さんという社会リソースを身近に感じる事のできる機会です。

このイベントでは、仏教をモチーフにしたペンケース、ブックマーカー、ハンコなど、いろんなポップな仏教アイテムが販売されていました。おもしろい!

私は500円のブックマーカーを買いました(下記写真4枚目)。

渋谷に寄ったらぜひ覗いてください。2月2日まで開催です。ロボウさんは稼働時間が決まっているようなので事前にウェブサイトでご確認を。

【渋谷店】お寺・仏像・お坊さん大集合!!「渋谷ハンズお寺サークル」 - 店舗のイチオシ - 東急ハンズ渋谷店

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大きな鉢、上から見るか、横から見るか

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ことし最初の坐禅会への参加です。いやー、さむいのなんの。

今日の坐禅は、まったくダメでした。気付いたら、ほとんど仕事のこと考えていました。

今年の目標は、前回のブログで書いたとおり「円(まどか)なること太虚(たいきょ)のごとく、欠くること無く、余ること無し」です。

「円」を目指す。でも、なかなかむずかしいですね。年末年始も仕事でしたし、いろいろタスクが溜まってまして、ちょっとバテ気味。

そんな中で今日は気分転換、意気揚々で寺へ行ったわけです。

さて、座禅会が始まるちょっと前。境内を歩いていて、大きな蓮の鉢の前を通りました。横幅は肩くらい、高さは股くらいまである鉢です。わたしこの特大の鉢がなんとなく好きで、ついついいつも覗きこんじゃうんです。このブログでも何度か写真を載せてます。

今日も覗き込んだら・・・。

あ、これって・・・。

上から見たら、見事な”円”でした。

円!!

横から見たら瓶型。でも、上から見たらまんまる円。

んー・・・わたしも視点を変えれば円になれるかも?

あわてず、じっくり、「円」を目指していきたいと思います。

2020年、欠くることなく、余ることなし

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2019年の末、薬学の勉強の合間を縫って、坐禅の本をめくっていると、こんな素敵な言葉を見つけました。

円(まどか)なること太虚(たいきょ)のごとく、

欠くること無く、余ること無し

「〇」とは大空(太虚)のように境目がない丸のことで、だれにとっても過不足なく、すべて一体である、という意味だそうです。

頭の中で反芻した瞬間、あ、これだ、と思いました。2020年はこれを大切にしよう、そうしよう、と。すべて一体で過不足のない状態。これを目指したい。えらい抽象的な話ですが。

と、まあ、大層なことをいっているようですが、正直なところわたしは「〇」の意味がさっぱりわかっていません。

そんな折、『参禅入門』(大森曹玄著)という本に、曹洞宗臨済宗のちがいについて書かれたくだりがありました。本書が引くある老師の言葉によれば「臨済禅は向上的修行、曹洞禅は向下的修行」だそうです。

おもえば、わたしは(無宗派ですが)曹洞寄りです。読んでる本が曹洞宗のお坊さんの本です。そのくせ、通っている寺は臨済宗です。では、臨済の禅とは?臨済宗の用いる「公案」の意味とは?2つの禅宗は、上る山は同じでも、その上り方が異なるようです。

今年は臨済についてもう少し知りたいと思いました。

元旦ですから、ペンタブで書き初めをしました。

2020年、わたしの「〇」。

欠くることなく余ることなし、の精神で1年を送ります。

 

参禅入門 (講談社学術文庫)

参禅入門 (講談社学術文庫)

 

 

 

オリラジ中田敦彦さんのYouTube座禅論

オリエンタルラジオ中田敦彦さんの「中田敦彦YouTube大学」という番組が、この12月に「世界中の偉人たちはなぜ禅に魅せられるのか?」というテーマを扱ってました。SNSで教えていただきました。

中田さんの禅思想の解説です。とてもよくまとまっているので、前篇だけ見るだけでも勉強になると思います。たとえば、

曹洞宗→「とにかく坐れ」

臨済宗→「自問自答しろ」

などと、わかりやすいですね。

ベストセラー「サピエンス全史」の著者の最新刊「21世紀の人類のための21の思考」の中で、21個目の思考に「瞑想」が挙げられているそうです。その瞑想の元ネタが日本の禅。日本人なら禅のことを知らないと、グローバルの中で生きていけないでしょ?とまあ、そんなことが前篇では紹介されています。

オススメです!!

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 
21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考

21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考

 

 

わたしの奇妙な『波紋法』

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空があまりに青くてきれいなので、ちょっくらお寺で坐禅してきました。年配の観光客が続々来る中で、ひとり、じっと40分坐ってました。でも、なんだかとっても集中できて、最高に気持ちよかったですね。来週からは年末で忙しいので、寺で坐るのは今年はこれで最後かなあ・・・。

さて、突然ですが『ジョジョの奇妙な冒険』という何十年も連載が続いている人気漫画をご存知でしょうか。この作品に『波紋法』という必殺技が出てきます。特殊な呼吸法によって、体内に波紋のエネルギーを生み出し、不死身の吸血鬼を倒す秘法です。作者の荒木飛呂彦さんは、呼吸と波紋法の発想をどこから得たんでしょう。作中では波紋法を「仙道」とも読んでいます。案外、昔の身体操作の技法からきてるんじゃないか。先日、坐禅をしてそう思ったことがありました。

さいきん、わたしの中でちょっとしたトレンドがあります。まず、坐禅を組みながら自分のカラダが水になったと強くイメージします。それから、さらに想像を膨らませて、その水(じぶん)で身の回りのすべての空間を満たすようにします。こうすると不思議とうまく集中できることに気づきました。

こんな作法はどの坐禅の本にも書いていないので、まったく邪道なのでしょうけど、わたしの坐禅はもともと邪道禅なのでそこは割り切っています。

じぶんが水になるとどうなるか。これがおもしろいんです。

観光客のおじちゃん、おばちゃんが来ますよね。わいわいがやがや、ドシドシと足音を立てながら廊下を歩きます。わたしは水です。そうした人の動きがあると、波紋が生まれます。たとえば、プールの中を子供が歩くと、波ができますよね、そんなかんじです。

自分というものは存在せず、そこにあるのはただの波紋です。おじちゃんおばちゃんたちが騒がしくても、「ああ、人が歩いているな」「ああ、音がしているな」としか感じません。「うるさいにゃあ」とか「今日は観光客が多いな」とか余計なことは考えないのです。だってただの波紋ですから。これってわたしにとっては、けっこう画期的なことなんです。

以前、この寺の老師が坐禅中の心得をこう説きました。

「鳥がチュンチュンと鳴けば『ああ、鳥がチュンチュンと鳴いたな』と。風が吹けば『風が吹いたな』と。それだけでいいんです」

わたしが水になっている瞬間は、まさにこれを実践できているような気がするのです。そうだ、この方法を『波紋法』と名付けよう!と勝手に思いました。

波紋法を行う時に大事なのは呼吸です。姿勢を調(ととの)え、呼吸を調えると、心が調います。いわゆる坐禅の心得「調身調息調心」です。そうすると、自分をうまく水にできることを今回実感しました。

わたしの奇妙な『波紋法』です。