てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

「苦しみ」とは「自分の思い通りにならないこと」である

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6月中旬の紫陽花(アジサイ)です。

この日は複数の寺の住職が集まり、一般向けに短い説法を行うイベントがありました。印象に残った話を紹介します。

 

「苦(苦しみ)」とは一体何でしょうか。

仏教では、苦とは”自分の思い通りにならないもののこと”と考えます。

その思い通りにならないもののお陰で、この今の自分があるのです。

兄がいるから弟になれる。

妻がいるから夫になれる。

部下がいるから上司になれる。

他のおかげで自分がある。だから、”お陰様”の心を持つことが大事ということです。

 

心にしみました。「苦」の定義が簡にして要ですし、他人がいるから自分があるというのも、なるほどその通りです。

ぼくは会社で20名弱の社員をまとめる”上司”という立場にいます。苦労すること、嫌なこと、たくさんあります。ですけど、彼らが部下でいてくれるからこそ、ぼくは上司という役割と職権と、貴重な経験を与えられているわけです。

部下がいるから上司でいられる。なんともありがたいことだなと思いました。

弟子が師匠を殴る仏教のお話

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先週の座禅はとても気持ちよく行うことができました。終わったあとに身も心もスッキリしました。座禅をやっててよかったなと思う瞬間です。

 

さて、この日の題材は「無門関第二則 百丈野狐(ひゃくじょうやこ)」。寺の住職が狐に変わってしまうというお話です。ある住職が因果を理解せずに誤った事を口にしたため狐になってしまったのです。

修行を重ねたからといって因果からは逃れられないという話でした。

 

さて、この「百丈野狐」という話は、百丈(ひゃくじょう)という偉い仏僧が主人公で、前半は教訓めいたおとぎ話だったのですが、後半に衝撃的な展開が待っていました。

黄檗(おうばく)という名の弟子が登場します。この黄檗が、師匠である百丈(ひゃくじょう)に「狐になってしまった住職は、なんと答えればよかったのでしょうか?」と質問をします。そこで、百丈は「よし教えてやろう。前に来い」と言う。そして何かを説く展開かと思いきや・・・・なんと弟子の黄檗は前に出た途端に師匠・百丈の顔をぶん殴るのです(グーかパーかは知りません)。予想もしない展開。これだけでも驚くのですが、さらに驚愕なことに、殴られた百丈が、怒るどころか大笑いするのです。それで、この話が終わります。わけわかりません。

 

老師はまじめにこの話をしていました。ぼくは笑いを堪えてました。ひょっとして、老師はからかって自作の小説でも語っていたんでしょうか?そうではないようですが、わけわかりません。