てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

お寺で写経体験してみませんか?

f:id:kuriedits:20180323211710j:plain

昨日は久しぶりに写経をしてきました。写経というのは読んで字のごとくお経を写す(書く)ことです。何を書くかといいますと、実はこれと一つに決まっているものではありません。「般若心経」だったり「延命十観音経」だったりしますし、「写仏」といって仏像の絵を描く場合もあります。

そこそこ大きなお寺であれば、ウェブサイトに1回いくらという風に書かれていて、観光客が旅の記念に写経・写仏が体験できるようになっています。相場は1000円くらいです。

お経を写すという行為は、コピー機がない時代にありがたいお経を他人に広めるために行われていたわけですが、もちろんそれだけではなく、書くという行為そのものにもまた意味があります。ものの本によれば、写経は座禅と同じように、無心に筆を運ぶことで心を一つにし、心の平静と本来の自分を取り戻すことだといいます。

ですから、字のうまい・へたは関係ありません。姿勢を正しく、呼吸を整え、丁寧に書けばそれでよいのです。

お経なんて知らないし、筆なんて書けないという方も、安心してください。お寺の写経は、毛筆、筆ペンの両方が用意されています。用意された紙にはうっすらとお経が下書きされています。ですから、初心者でも筆ペンを使って、その下書きをなぞるだけで、写経が一丁出来上がりというわけです。

冒頭の写経の写真も、私が下書きをなぞったものです。でなければ、とてもじゃないですけど書けません。

今回、久しぶりに写経をしたのですが、集中するのは大変むずかしいことですね。座禅と同じで、何度もやらないと、これはその入り口にさえ立てないと感じました。途中から飽きてしまって、サッササッサと筆を走らせてお終い!通常は般若心経の写経は1時間以上かかるのですが、40分で早々に切り上げました。

それでも、言葉に表せない不思議な満足感を得られます。下書きありとはいえ、自分が書いたきれいな字を見ると達成感が込み上げてすがすがしい気持ちになります。

最後に自分の名前を書き、写経会場にある観音堂に納めました。

名前、アカウント名にしちゃったけど、いいよね?

f:id:kuriedits:20180323215001j:plain

「諸々の教えはいかだのようなもの。激流を渡ったら捨てるべきである」

f:id:kuriedits:20180316210608j:plain先週は夕方の座禅会に参加しました。やっぱり、夕方から夜にかけての座禅の方が、圧倒的に没頭できますね。今日は寺での座禅はせずに、本を読んでました。「8マインドフル・ステップ」という本です。釈迦(ブッダ)が涅槃に至るための道を説いた「八正道」に基づいたマインドフルネスの実践書です。マインドフルネスの世界では非常に有名な本らしいです。これ、めっちゃいいですよ。読んでるだけでリラックスできます。

8マインドフル・ステップス

8マインドフル・ステップス

  • 作者: バンテ・H・グナラタナ,出村佳子
  • 出版社/メーカー: サンガ
  • 発売日: 2014/10/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

この本の「『人・経験・信仰』にたいする執着を手放す」という章に印象的な記述がありました。執着という感情についてです。

私たちは自分というものの個性を得たいがために、信仰や意見、思考に執着します。たとえば、自分の支持する政治家や政策問題についての意見が批判されると、自分が攻撃されたかのように感じますよね?執着があるために、欲が生まれ、苦しみが生まれます。この苦しみから逃れるためには、善も悪も越えてあらゆる執着を捨てる必要があると考えられています。ブッダは、ブッダ自身の教えさえも手放すべきだと説いたそうです。

諸々の教えは、いかだのようなものである。

いかだによって激流を渡ったら、

いかだは捨てていくべきである。

たとえ善い教えでも、捨てるべきである。

悪い教えなら、なおさらである。 <中部経典22>

正しい教えでも捨てるというのが大事なんですね。仕事でも、過去のやり方や栄光、成功は捨てなくてはいけません。むずかしいことですが、そこに執着すると余計な苦しみや軋轢を生むことは、多くの人が実感として経験していると思います。一人一人の過去の経験は貴重ですばらしいものです。ですが、「医療とはこうあるべき」「メディアとはこうあるべき」「小売業とはこうあるべき」そのような執着はいったん捨てて、目の前の課題や問題に取り組む。そのようにありたいと思いました。