てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

「坐禅でおごる」という過ち

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旅行先のホテルの部屋から撮影した海です。根をつめて仕事をしていたので、いい気晴らしになりました。

仕事はオンオフが大切です。心労を引きずると自分を見失う。他者を見失う。いいことはありません。

実際、こんなことがありました。ある日、職場の部下のひとりが仕事上のミスをしました。ミスの原因を聞くと、どうやら”私生活に問題”があるようでした。その問題のせいで仕事に精彩を欠いていました。そこで、”私生活の問題”を解消するために何かしているのかと訊ねると、特に何もしていませんという返事。わたしは呆れてしまいました。

そのときわたしは、心の中でこう思いました。

「自分は日常生活に坐禅を取り入れるなどして、コンディションを高めるための工夫をしている。そういう工夫をしないこの人は努力が足りないのではないか」

そう思って、次の瞬間、ハッとしました。これはいかん。あかん。おごりだぞ。

「わたしは坐禅をしているから」

などと言いだしたらお終いです。坐禅は他人との優劣を比べるための道具ではありません。わたしが誰に言われるわけでもなくやっている、わたしだけの営みです。

わたしがやっている努力を、部下が等しく行う必要はありません。

1週間休みなく働いたり、残業が何十時間にもなったり、仕事疲れが溜まってるのでしょう。思考が濁る。おかしなことを考えだす。「坐禅をしてるから」と、意味不明なことを言い出す。

気付けば忙しさを言い訳に坐禅をサボり気味でした。ここ数日、気を引き締め直して、ふたたび坐ってます。もうすぐ11月。冷たくなった夜風の中で、冬用のあったか作務衣で身を包みながら。