瞑想したら世界が変わった

座禅を生活に取り入れてます。仕事に活かせるマインドフルネスをお届けします

身体操縦と人間の自由についてわかったこと

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突然の呼吸困難にみまわれた前回の座禅から1か月が経ちました。相変わらずみぞおちのあたりに違和感があります。自然気胸の可能性もあり受診しましたが、異常なし。そのうち風邪にかかって、7月からずっと体調不良。夏バテなのか、なにか原因があるのか、わかりません。

というわけで、久しく遠ざかっていた座禅会に本日、久しぶりに参加しました。また呼吸困難になるんじゃないかと怖かったのですが大丈夫でした。計40分間の座禅で、30分間はかなり気持ちよくできました。最後の10分はしんどかったですね。

 

この1か月ほど「現代坐禅講義」という座禅について書かれた本を読んでました。

現代坐禅講義―只管打坐への道

現代坐禅講義―只管打坐への道

 

これ、すごくおもしろいです。

いままで自分が「これが座禅だ」と思っていたものがことごとく否定されていて、私の中の(浅はかながらも)座禅観が大きく変わりました。

一言でいうと、座禅をするときの手の位置や呼吸法や姿勢に「こうでなくてはいけない」というのはない、というものです。どんなやりかたであってもいいのです。それどころか、「こうあるべきだ」と形にこだわるのは本来の座禅ではないというのですから、これは驚きです。

今回は本書の詳細は省きますが、この本に「坐禅は形にこだわってはいけない」と突きつけられてから、座禅のやり方がわからなくなってしまい、毎朝の座禅もぎこちなく座りの悪い状態が続いていました。今日はこの本を読みながら寺に行き、本書にあるように「気持ちよく、体が求めるままに座禅をしよう」と心に決めて挑んだところ、存外、非常に気持ちよく、うまくいきました。

体を意志でコントロールしようとするのではなく、体の声に耳を傾けながら姿勢を決めるという方法があることを今日、身を持って体験しました。「腰をまっすぐにしよう」「肩を落とそう」などと体を操る意志を持つことは、「私」と「体」を分離させる行為であって、「私」が規範に捕らわれている、不自由な証なのだと思います。

「こうあるべき」という規範から自由になるのが座禅です。座禅のおもしろさを、また一つ知ることができた気がします。