てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

1本の草である「私」

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年が明けてしばらく寺に行けてなかったのですが、先週の昼間にふらりと寄りました。ちょうど温かい光が差し込んでいたので、ぽかぽかしながら一人坐禅することができました。

去年の末くらいから、坐っているときは自分が1本の草になったイメージを持つようにしています。そこらに生えている、何者でもない、無力で平凡な雑草です。世界の広さと比べれば、なんと小さく、世間の関心から外れた存在か。でも、それこそが自分の人生の姿だと思うのです。自分のちっぽけさを実感できます。

 

人間だれもが草のようなもんだ

生まれて、生きて、枯れるだけ

草が歩いてるようなものだなあ

 

・・・そんなふうに思いながら今年も生きていきます。

よろしくお願いします。