てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

「乱」に終わったダメダメ2020年

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もうすぐ終わる2020年を振り返ると、「乱」という表現がぴったりかなと思います。乱れました。

コロナで寺の座禅会が中止になりました。最初の頃は、寺でひとりで座禅していたのですが、コロナがいよいよ感染拡大してからは、ひとり座禅も禁止になりました。

寺で座禅をしないと、家でもサボりがちになり、今年は家で座禅しない日のほうが多かった、いやほとんど座禅をしなかった気がします。なんという心の弱さよ。

そういえば今年は、『自分のメンタルは人よりは強いけど自分が思うほどには強くない』ことを知った1年でもあった気がします。

写真は旅行先で利用した京都の座禅処です。障子の墨絵が趣がありました。現代のように簡単に旅行できない昔の人は、この墨絵で想像力を働かせたのかなと想像しました。

そうした「乱」の中で得たものが二つあります。

1つは料理。世間ではコロナで自炊が増えたそうです。私も野菜を買って何度か料理をしました。料理をしている間は無心になれる。寺では料理は修行の一つとされます。命のありがたさ、食事を得ることのありがたさを実感できました。食卓に花まで飾ったりしてね。

2つは公案。年の初めに、臨済公案を学ぶという目標を立てました。公案とはなんぞや?『無門関』などは書物としては持っていましたが、その意味や活用の方法についてはよくわかっていませんでした。そこで、今年は『公案夜話』という本を買ったのですが、これが公案の考え方をとてもわかりやす解説しており、まさに自分的に今年を代表する一冊となりました。

禅宗では、悟りは言葉や文字ではなく体験によって得るものであると考えられており、これを「不立文字」と言います。それなのになぜ、「公案」というものを用いるのかという疑問がわたしにはありました。この『公案夜話』を読んで、公案は文字ではなく、むしろ文字では伝えられない世界があることを教えているのだということを感じました。

公案を通じて「語り得ぬ世界」の存在の大切さを、かつてないほどはっきりと知覚できました。こんな風に書くと、今まで愛とか友情とかを感じたことのないかわいそうな人間のように聞こえますが、そういう”感情”の話ではなく”感覚”的な話です。とまあ、こんな風に書いているのがとても恥ずかしいですね。

うーん、なんといいますか、もう少し言語化できたらそのうちします。

ちなみに、年初にペンタブで描いた書き初めの「円なること太虚のごとく、 欠くること無く、余ること無し」はまるで実践できた気がしません。多くの収穫を得ながらも、大いに心が乱れた1年でした。

来年は初心に戻って、座禅をしっかりやりたいです。寺に行かなくても、心を自分の中に座らせたい。

それではみなさま、よいお年をお迎えください。

公案夜話(こうあんやわ)―日々にいかす禅の智慧

公案夜話(こうあんやわ)―日々にいかす禅の智慧

  • 作者:松原 泰道
  • 発売日: 1990/11/01
  • メディア: 単行本