てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

早朝のカフェ

f:id:kuriedits:20211029173327p:plain

先週は早朝からすごく寒くて、座禅を終えて寺を出てから、通勤時間前の静かな通りを、肩をすくめながら寒さから逃げるように駆け足で歩くような日で、結局、夜になっても気温は上がらないままで、自宅で冬用作務衣を押し入れから取り出しました。

夏の頃は、いっときは毎週のように励んでいた早朝の寺座禅も、実は1ヶ月ぶりで、寺の朝の空気を吸うと、ああ、またここに戻ってきたな、という懐かしさを覚えます。過去の日記を調べたら、この朝の座禅を始めたのは4年前でした。

最近は、座禅を終えた後はいつも決まったお店で朝食を済ませているのですが、朝の座禅を始めたころは、別のカフェをよく利用していました。

そのお店は、参道から二つほど路地を入った、小さな個人経営のカフェでした。レンガとコンクリートが打ち付けられた、3階建の建物の通りに面した1階にあるお店で、ウッドデッキの入り口に、緑が茂って、朝の陽光でいつもキラキラと輝いていました。10人どうにか入れるくらいの狭い店内は、ドライフラワーや絵が飾られた白塗りの壁に、茶色い木目の家具で統一された、いかにも女性受けしそうな今時のカフェという感じなのに、いつも入り口には新聞が数紙置いてあって、私は厚切りのパンとスクランブルエッグとサラダとコーヒーのセットを注文したあとで、その新聞をまるで我が家のようにくつろぎながら読んだり、パソコンを開いて文章を打ったりしていました。

店はたしか、朝の7時から開いていました。カフェを営んでいたのは、20代後半から30代前半くらいの、容姿のいい、接客業にしては声のトーンが低い、一人の女性でした。住宅だらけの場所に、こんな早朝から、女性が一人で、こんな瀟洒なカフェを、どうして営んでいるのか。常々気になっていた私が、ある時、まだ開店直後で、私以外の客がいない店内で、私が注文したスクランブルエッグを作っている彼女に話しかけると、ビルのオーナーが始めて、夜はお酒を出している、というような答えが返ってきたように記憶しています。そこで、この店は女性のものではないことを知りました。

一度だけ、冷たい雨の降る日に、座禅を終えて店に向かうと、なぜか閉まっていたことがありました。どうしたんだろう。今日は休店日ではないのに。ウッドデッキから覗く暗い店内に、人の気配はありませんでした。その時、背後で、いつもの女性が駆け足でやってきて、すいませんすいません、と言いながら、店のドアを開けました。電車が遅れてしまって、と言いながら。私はしばらくあっけにとられて、その様子を眺めていましたが、女性が遅刻したことも、女性が他の駅からわざわざ店に通っていたことも、私にはなんだかちょっと意外で、面白いことのように思えて、ぜんぜん不快な気持ちにはなりませんでした。

このカフェはもう、ありません。店がたたまれたのは、たしか、コロナウイルスが流行した後だったと思います。座禅を終えた日、ふと思い出したように、店があった場所に行くと、見慣れたウッドデッキの先にはカフェではなく雑貨屋が店を構えていました。ひょっとすると、あの女性が店主なのかもしれない。そんな淡い期待を抱いて店内に入ると、「いらっしゃいませ」と言ったのは、見知らぬ女性でした。