てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

借り物の生き物について

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ついに体に変調をきたしました。ふふふ。朝起きたらカマキリに。なんてことよ。カフカかよ。

詳細はいずれも書けないのですが、年始から着手していた重めの取り組みが2つ、ようやく一段落つきました。この2つが重なったことは心身に想像以上に負荷だったようで、ついでに本業も忙しかったので、たぶんこの3重奏のおかげで人生初の変調が起きました。いや困った。

それでも、一応、終わりました。いや、終わってはないのですけど、一息つけましたので良しとしまして、久しぶりに夕暮れ時に近所を散歩して、ビルの高いところから夕焼け空を眺めて、ああなんだかこうやってぼうっとするのは本当に久しぶりだなと思いました。寺、行けてないし。

青空の下の富士山も、日暮れの紅も、夕闇の高層ビル群の輝きも、何もかも、なんでこんなに綺麗なんでしょうね。ツイッターなんか覗く暇あったら、空に漂う雲を追ってる方がよっぽど幸せなんじゃないかって思ったりなんかして、ああ、こんな些細なことで幸せになれるのだな自分はなんて妙に感心したりして、そんな己の小ささよ。

しょせん、私の所有物などというものは、この世に何一つないんです。

仕事の成果も、知識も、この体も、顔さえも、全ていっときの借り物です。

そういう生き物なんだ。わかりました。まる。