てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

意味はわからないのに読む『金剛経』

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12月、お寺で催される禅の勉強会に参加しました。仏僧たちがひごろ自分が研究している内容を発表するという、何年も前から寺で定期的に開催されている、誰でも聴講できる勉強会です。

この日は若い僧が『金剛経』について発表をしました。金剛経はその正しい名を『金剛般若波羅蜜経』といい、仏教の「空」の思想を説いたものです。漢訳は6種類あって、そのうち5世紀に書かれた鳩摩羅什の訳が現在の禅宗では用いられています。仏教に興味のない人でも名前くらいは知っている『般若心経』は、約5000字からなるとくべつ長い金剛経を、10分の1にも満たない、わずか260字程度に短縮したものです。

若い禅僧は、中国の歴史上のとある名僧がこの金剛経をどのようにとらえたかを、過去の書物から読み解くというものでした。名僧に関心を持っていないわたしにとっては、正直、遠い話というか、ちんぷんかんぷんというか、かなり専門的な話もあり、気がつけば講義の大半を居眠りしてしまいました。

禅宗では重要な経典として扱われている金剛経は、僧の話によると、まともによみあげると2時間かかるそうですが、曹洞宗ではこれを15分くらいでよみおえてしまうそうで、初めて目にする人はその速さに圧倒されるそうです。僧たちが2時間かかる読経を早口で15分で済ませるという光景を想像して、わたしは密かに心の中で笑ってしまいましたが、それ以上に驚いたのは、次の話でした。お寺で修行していた頃から金剛経を読んでいたが、当時、金剛経の意味は実はよくわかっていなかった。教えてもらう機会もなかった。

・・・意味がわからないのに読む!!

衝撃的でした。それではいったい、何のために読むのか。ひょっとして、この若い仏僧が、怠け者だっただけじゃないのか。そんなふうに疑っていると、講義後の質疑応答で、司会役を務めた古老の禅僧までもが、「我々は読むけれど意味はわからない、ということがあります。いけないんですが」と苦笑しながら、ちょっとばつが悪そうに話し、参加者たちの笑いを誘っているのを見て、どうやら、そういうものであることを私は理解しました。

これは非常に宗教的で、科学とは違う、独特な風習のように私には感じられました。座禅もそうですが、意味や理屈はわからなくても形から入る、ということが禅宗の作法ではしばしばある気がします。

講義後の質疑応答で、参加者のうち、アジア圏の女性が「先ほどよんでいただいた金剛経を聞いて、”音”が広東語に近くて驚きました。日本語ではなくて、まるで広東語を聞いているようでした」と訛りの強い日本語で感想を話し、それに対して別の年配の参加者の僧が「金剛経は”南”側の発音なんですよ。天台宗とは読みも違いますし」と言ったときは、遠い遠い昔、砂埃の匂いのする中国の南部地方で、金剛経を翻訳する仏僧の姿を私は想像しました。