てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

クロの世界と、私たちの世界

人間で言えば80歳くらいの老体にしては毛並みも良くて丈夫だったクロが、突然、食べることもできなくなったのは、4月30日の、いつもよりかなり冷え込んだ朝のことでした。あ、これは体調がかなり悪いんだ、と私が不安を覚えたのも束の間、数日の間にクロはほとんど何も食べなくなり、下痢を繰り返し、水に一切口をつけず、フンもわずかしか出さなくなり、私の中の不安は、あっという間に、もっと重くてつらい別の感情に変わりました。

 

「この時期のうさぎは”うっ滞”と言って、消化器の調子が悪くなります。うっ滞であれば、点滴をすれば、その日のうちに食欲が戻ります。うっ滞の可能性の方が高いかな」。3日目にクロを診てくれた馴染みの獣医は、そう言ってくれたけど、どこか慰めを含んだ嘘のように聞こえて、そうだったらいいなと獣医の言葉にすがるような気持ちでうさぎを眺めていたけど、1回目の点滴を打ったあとも、クロの体調は戻りませんでした。翌日になるとさらに食欲はなくなって、前日にもまして動けなくなりました。これはもう、明日の朝まで持たないかもしれない。4日目の夜、妻がそう言って、それでも食べさせないと死んでしまうからと、嫌がるクロを抱えながら、口に栄養のある液体を必死に流し込むたくましい姿を、私にはとても真似できないと思いました。

なんとか元気を取り戻してほしいという私たちの、私たちのための願いを、その小さな体では受け止めきれなかったクロは、強制的な食事の時間が終わり解放されるやいなや、リビングにある低いデッキの下に逃げるように潜り込みました。体力がなくなり、体の重ささえ支えきれなくなった前足を何度も床の上で滑らせながら、外の世界の全てから目を背けるように、頭だけをクッションの陰に突っ込んで、電池の切れたおもちゃみたいに止まってしまいました。いつまでもそうしていても仕方ないので、私たちがひろい上げてゲージに戻すと、いつもとは180度向きを変えて、私たちにはもう愛想が尽きたと言わんばかりに、お尻をこちらに見せて座り込みました。ご機嫌とりに私が頭を撫でると、不快感を表しているのか、あるいは体が痛むのか、ゴリゴリと鈍い音の歯ぎしりをしました。せめて少しでも食べて体力をつけて欲しいと私が差し出した、大好きなフルーツを盛った底の浅い小皿は、まだこんなに力が残っていたんだと思うほどの勢いで、顔で小皿をぐいとどかして、クロにとってはこれ以上ない態度で拒否を示しました。

こんなにはっきりと、意思表示を重ねられたのは、10年以上の生活を思い返しても、思い当たる記憶がありません。

ひと騒動終わったあと、じっとしているクロに、声をかけても、目の前に指を差し出しても、目ははっきり見開いているのに、視界に入っていないかのように、まるで反応がないことがありました。その姿を見て、クロの世界にいま自分はいなくて、きっとクロはクロの世界を精一杯生きているんだと思いました。

私は出勤前の朝の時間に動物病院に駆け込むような日が続き、寝不足になり、そのせいで頭痛になり、気を紛らわすために飲んだビールやコーヒーが、さらに寝つきを悪くするという悪循環になり、あっという間に疲れ果ててしまい、仕事をしていても、薄暗いケージの中でうずくまるクロの姿を思い浮かべて、今頃どうしているだろうと、考えてもしようがないことに、心を煩わせるようになってしまったけど、これらはクロにはまったく関係のないことで、クロは、変えようのない自分の運命に、ただ身を委ねているようにも見えます。

5日目、朝早くからクロを連れて動物病院に行った妻は、そこで点滴処置と一緒に獣医師から上手な薬の与え方を習い、専用のスポイトを買って、クロに前日ほどの苦痛を与えることなく、薬と栄養液をスムーズに与えることができました。そのあと大好物のリンゴを切ってあげると、前の夜の不機嫌さとはうってかわって、シャクシャクと美味しそうに食べました。ねえクロ、いま何を考えているの?