てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

「すべては空」という考え方のゆるさ「『金剛般若経』全講義」

 

年末年始にかけて「『金剛般若経』全講義」という書籍を読みました。非常に面白かったです。これほど読んで良かったと思えた仏教書は、藤田一照さんの「現代坐禅講義」以来です。

本書は金剛般若経の解説文であると同時に、仏教思想の「空」について丁寧に説明されています。空って、よく聞きますよね。でも、いまいちよく分からない。

結論からいうと、「空」とは「実体ではない」という意味なのだそうです。「空の思想」なんていうと、「頭を空っぽにすることかな?」なんて誤解してしまう人もいるでしょうが、空の意味はその語源からして「空っぽ」「なにもない」というのは違うようです。

「空=実体ではない」というところの実体とは、本書によれば「それ自体で存在でき、変わらない本性があり、永遠に存在できる」ものを指します。そんなことはわざわざ言われなくても、永遠に存在できて変わらないものがこの世にないことは、現代の私たちにとっては常識です。でも、実体をかように定義づけることで、「すべては空である(すべては実体ではない)」をいう認識を強調するところが、仏教の面白いところです。

 

そして本書を読んでもう一つ、新鮮だったのは、金剛般若経とは「心の持ちよう」を説いている書物だということです。少なくとも本書を読む限りでは、この世はこうであるといったような、絶対的な真理・真実を説いているわけではないと私は理解しました。この経典は「ブッダは弟子からの質問にこう答えました」的なスタイルで書かれているのですが、その最初の質問は「どういう風に修行したらいいですか?」「どういう心持ちにすればいいんでしょうか?」というような、なんというか、大変俗っぽい質問なのです。私はてっきり、「真理とはなんですか」「世の中の真実を教えてください」というような質問だと勝手に想像していたのですが、そうではなくて、現代風にいうと、「どんな考え方をすればいいんですか?」ということなのです。それに対してブッダが「心をこのようにコントロールすればいいんだよ(心を降伏)」なんて、答えていくわけです。なんだかカウンセラーみたいですね。

私が気に入ったのは、金剛般若経は「心の持ちよう」を説いているのであって、「事実」を説いているわけではないという点です。一応、「すべては空である」ということを前提として話を進めているのですが、先述の通り「すべては空である」は、先述の空の定義からすると、「この世に永久不変なものはない」というような常識的な見解です。当たり前のことを前提に、「こんな風に考えればいいなじゃいの?」みたいな話なんです。たぶん。

なんというゆるさ!親しみやすさ!

私の中で、仏教を見る目が変わる一冊でした。