てらがよい日記

お寺という名の異世界に通って感じたこと

2022年の抱負 言葉を超えて「空」を考える

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262文字の、たいそう短い「般若心経」というお経を、生活の中で口ずさむことが増えたのは、2021年の途中からだったように思います。夜がふけるころ、会社から帰宅して、静かなリビングで、一人でそっと般若心経を唱えると、不思議と心が落ち着くことがありました。「色即是空 空即是色」という、有名なフレーズもさることながら、私は次の節が好きです。

「不生不滅 不垢不浄 不増不減」

数年前に比叡山延暦寺で購入した手のひらサイズの経本には「生ぜず滅せず 穢(けが)れず浄(きよか)らず 増ぜず減せず」とその意味が書かれています。この世の全ては「空」であるから、生じるとか滅するとか増えるとか減るとか、そういうことはないのだという意味で、深い意味は私にはわからないけど、物事を二分にして相対化しないところがいいなと思ったりしていたのでした。

そんな折、年の瀬もせまった12月にお寺で禅の勉強会があり、そこで若い禅僧の、「金剛般若経」をテーマにした研究発表を聞いて、金剛般若経に興味を持つということがありました。金剛般若経は、般若心経よりも詳しく、仏教の教えを説いた経典です。勉強会を終えて間もなく、近所の書店で見つけた「『金剛般若経』全講義」という解説書を買いました。空の思想というのは、全ては実体のないものであると捉えることであると、その本には書いてありました。

読み進んでいくと、座禅と経典の関係にも触れられていました。経典を読み、「言葉を超えないと真理は見えてこない」という気持ちになってから、「言葉を超えるためにはどうすればいいのか」となり、そこで「坐禅をするしかない」となる。経典はその媒介としてのみ存在する。そんなことが書かれていました。これを読んでから、私は、「空」の思想を頭に描きながら座禅をしてみると、いつもとは違った気持ちで座れることに気づきました。

読後に一番変わったのは、坐禅中に目をつむらなくなったことです。 今まで私は、座禅を始めてこのかた、目はつむってしまいがちで、居眠りすることもたくさんありました。座禅会では目をつむってはいけないと教えられましたが、家で座禅するときは、まあ、いいじゃない、眠くなるくらいリラックスするのも効用、くらいの軽い気持ちだったのですが、先の書籍を読んで以来、「目を瞑る座禅」と「目を瞑らない座禅」の違いを、今までになくはっきりと実感するようになりました。禅僧が聞いたら怒るでしょうが、私は「目を瞑る」リラックス座禅と、「目を瞑らない」集中座禅の、2種類を、自分の生活リズムの中で使い分けたいと思うようになりました。

「空」の思想は、いたってシンプルなアイデアです。ただ、これを身につけ、日常生活で実践することは、とても難しいでしょう。

2022年は、そんな「空」を探求していきたいと思います。

本年もよろしくお願いします。