瞑想したら世界が変わった

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「薬剤師と僧侶のミックスとして、そのままの自分で育った地域の役に立ちたい」/異色の薬剤師僧侶の挑戦【インタビュー】

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患者さんから「なんだかお坊さんみたいだな」とよく言われるけど

今日は異色のお坊さんを紹介します。ただのお坊さんではありません。なんと、薬局で働く現役の薬剤師さんです。こちらのお茶目なツイートをご覧ください。

私自身も薬剤師です。ふだんは「ドラッグストアとジャーナリズム」というブログを書いています。といっても、最近坐禅に興味を持っただけの、ただの薬剤師です。

しかし、先の薬剤師僧侶はちがいます。

先日、ツイッター上でご本人と話していて、薬剤師と僧侶の二足のわらじを履いていることが判明。なぜ、そんな人生を!?私が今まで見聞きしたお坊さんは、どなたも専業僧侶でした。そもそも、兼業僧侶が存在することが初耳です。興味が湧きます。

ぜひお聞かせください!そうお願いすると、二つ返事で引き受けてくださいました。

というわけで、今回は薬剤師免許を持つ僧侶、ホーホケキョさんにご登場いただきます。私にとって現役薬剤師僧侶へのインタビューは初めてです。ドキドキワクワクしながら、非常におもしろい話を聞くことができました。

皆さんにもこの興奮が伝わると幸いです。

ホーホケキョさんの過去ツイートを挿絵として紹介しながらのインタビュー記事。

どうぞお楽しみください。

それでは、はじまり、はじまり。

 

f:id:kuriedits:20180823143600p:plain K(kuriedits)

 ãã¼ãã±ã­ã§H(hohokekyo)

 

※2018年8月中旬にツイッターのDMで行ったインタビューを編集して掲載

 

昼は薬剤師、家に帰るとお坊さん

(^▽^)/:この度はインタビューをお引き受けいただき、ありがとうございます。ホーホケキョさんには特にメリットのない企画なので心苦しいのですが(苦笑)、どうぞ最後までお付き合いください。

ホーホケキョさんは寺の息子に生まれ、薬剤師になったという大変珍しい経歴をお持ちです。二足のわらじを履いて仕事されているのですか?

 

ヽ(´▽`)/:よろしくお願いします! 平日昼間は薬剤師、家に帰るとお坊さん、境界こそありませんが、そんな生活を送っています。ただお寺と言うのが都会にある様な大きなお寺ではなく、都会から遠く離れた片田舎にある小さなお寺なんですね。なのでそう言ったスタイルが可能なんだと思います。

 

K:時々ツイッターに野生のウサギが登場しますよね。いいなあ~と思いながら眺めています(笑)

 

K:お坊さんの日常・お仕事って、想像つかないんですけど、具体的には何をされているんですか?

 

H:年中行事としては、お釈迦様や宗派ご開祖様の誕生日、入滅された日などに諷経をあげ、時には他の御寺院さんの法要のお手伝いに出かける事もあります。8月は盂蘭盆会(お盆)、スクーターでお檀家さん宅を回る棚経(たなぎょう)です。日々の生活の一端を見れば、週末はお檀家さんの法要があったり、やはりお寺は山の中、作務作務作務・・・雑草達と戯れています。

 

K:作務(さむ)とは掃除などを指す寺の言葉ですね。雑草を抜いたり、ですか。

 

H:時にはチェーンソーを持つ事も(笑)。私の友人でショベルカーの資格を取られた和尚さんもおりました。しかし行住座臥(ぎょうじゅうざが)、一挙手一投足、坐る時間が無い時でも日常生活全てが修行と思い過ごしています。

 

K:休日になるとツイッターばかりしている私のようなツイッター廃人とはちがい、ゴロゴロしてる暇は全然なさそうですね。

 

H:そう言われると週末明るいうちは何かしらやってますね。白衣だったり作務衣だったり、お袈裟だったりちょっと前までは地域に貢献消防団服も。 でも日が落ちれば、それはゴロゴロタイムもありますよ(笑)

 

K:あ、そうなんですね(笑)ちょっと安心しました。でもやっぱり忙しそう。

 

地域への恩返しで薬剤師を志す

K:お寺の息子に生まれたホーホケキョさんは、どうして薬剤師になろうと思われたのでしょうか?

 

H:薬剤師を選んだ理由、よく聞かれます(笑)ここはベタかもしれませんが化学・数学が好きでした、科学者ということばに目を輝かせてまして。祭事など古くて伝統的なものも好きでしたが、一方で新しくハイテクなものも大好きでした。

 

K:へー!

 

H:そんな中、今でも鮮明に覚えていますが、幼い頃にランドセルを背負って学校から帰宅してみると、近所のよくしてくれたお婆さんのお葬式が突然行われており、ご家族が悲しむ姿を目の当たりにする事がありました。お寺という場所柄、昔から自身の親族以外での身近な人の死に接する機会がとても多かった様に思います。

お寺だけでは生活が難しい小さな寺院、地域に育てられていた自分、憧れの科学者寄りで、地域に恩返し出来る仕事って・・・と出た結論ですね。

 

K:地域に恩返しできる仕事として薬剤師を選んだんですね。でもご実家がお寺ですから、ご両親から「仏教学科に行きなさい!」なんて怒られませんでした?

 

H:お寺だけでは生活が難しく、でもお寺はしっかり守らなくてはならない。 私の父(薬剤師ではありませんが)がそうであった様に小さい頃より兼務するしか選択肢はなかったんですね。仏教学科にも行って見たかったですね!

 

K:じゃあ、お父様はホーホケキョさんが薬学部に行くことに賛成だった?

 

H:反対はされませんでした。 こういう兼業のカタチを否定される僧侶の方も当然おります。でも私の周りをみると、ソーシャルワーカーのお坊さん、教師のお坊さん、建築家のお坊さんなど、訳あって他に職能を持つ方も実際には居ります。この道が僧侶としての生き方から外れているのか、答えは出ません。ただこれが私の選んだ歩むべき仏道だと思っています。

 

K:えっ!勤め人のお坊さんって結構いるんですか!?私の周りにも、普段は会社員で、週末は袈裟姿になる”隠れ僧侶”(?)がいるのか・・・。

 

国家試験を受けたのち、山に籠って修行の日々

K:大学時代はどんな学生だったんですか?

 

H:薬学部時代ですね、計らずも本山にほど近い薬科大へ入学し、皆さんと同じく、ごく一般的なキラキラした(?)キャンパスライフを送っておりました(笑)。逆にこの時期が一番お寺ライフから程遠い場所に居たのかもしれません。ただ、大学四年の冬、国試受験勉強真っ只中にお寺での大きな行事がちょうど重なってしまい、僧侶としての進退(所作)やお経、問答などを勉強しながら国試対策もで本当に必死でした。

 

K:それはツライ(笑)。社会人になる前から、お寺の手伝いをしてたんですか?

 

H:坐禅は小学生の頃、父より教わりました。また宗門のお経も時同じくして読んでいた記憶があります。ただ高校時代も含め手伝いと言っても、お寺の小僧よろしくで廊下の雑巾がけや仏具磨き、庭木の手入れ等々ほとんどが清掃作務でした。 そんな姿がさまになっていたのでしょうか、庭木の剪定中に「○○君(私の名前)いますか?」と遊びに来た友達から声をかけられた記憶が脳裏をよぎります。

 

K:先日ツイッターを見ててビックリしたんですけど、4年生の時に薬剤師国家試験を受けて、合格通知を得る前にすぐに山での修行に入られたそうですね。ふつうの薬学生は国家試験が終わると、勉強から開放されて最後の学生ライフを満喫するのものだと思いますが、そうではなかった?

 

H:アラフォー世代の私が国家試験を受けた当時は3月に試験、結果が出たのは4月を回ってからだったと記憶しています。国試って年々早まってますよね。 なので3月下旬に国試を受け、結果を待たず4月早々に上山、ひとり修行に出ました。修行の最中に「サクラサク」の電報ではありませんが連絡を受けました。

 

K:あ、そういえば私も3月試験でした。

 

H:都会の喧騒から離れ、山門をくぐった先にある、これから始まる未知の禅的生活に気持ちが高ぶっていた事を今でも覚えています。 

 

K:修行中に薬剤師合格の通知を受け取ったという話がでましたが、どんな気分でしたか?早く下山して現場に出たいとか?

 

H:合格通知が届いたのは修行に入って1ヶ月経った頃だった様に思います。「あ、受かってた」程度でした。自己採点して合格圏内だったからかもしれませんが、喜ぶ間も無くすぐに修行に戻った事を記憶しています。早く現場に行きたいと言う気持ちがなかったと言ったら嘘になります。同級生は今頃どんな仕事をしているのだろう?なんて周りと比較し何となく焦りを感じた時期もありましたが、何を思っても考えてもそこに意味はなく、今やるべき事は目の前にある事でしかなかったので吹き飛びました

 

K:山での禅修行に集中してたんですね!

 

仏僧が修行をする理由

K:これ、そもそもの質問になるんですけど、なぜお寺で修行をされたんですか?宗派によると思いますが、仏僧は寺で修行僧として一定年数を経なければ、寺の住職にはなれないという規則があると聞きます。ホーホケキョさんも、将来お寺を継ぐために修行道場へ?

 

H:なぜ修行が必要なのか。端的に言ってしまえば「ブッダは修行をして悟りを開いたから」です。 またkurieditsさんの仰る通り、私の宗派はまず師匠を見つけ弟子になり、その師匠からの許状を持ち修行道場で一定の修行期間を経て、そしていくつかの式を済ませなければ住職にはなれません。 これは宗制という規則があり、正式な手続きを得なければならないのです。 かく言う私も10歳で仏門に入り頭を丸めました(笑)

 

K:10歳から・・・。こんなミーハーな質問をしていることが恐れ多い気がしてきましたわ。

 

食事には宗派の教えがあふれている

K:山での修行とは、具体的にどんな事をするんですか?

 

H:基本的な修行僧の一日は起床・坐禅・朝の法要・朝食・清掃作務。その後は、法要の勉強や書道、また修行を長く積まれた方の講話を聞いたりと僧侶としての基本所作を学んでいました。

 

K:ここでも勉強するんだ・・・。

 

H:また修行僧にはそれぞれ役割が与えられており、受付窓口や法要担当、住職や役員さんに仕える者など、別の公務も担っています。かくいう私は食事担当。日々の修行僧の食事以外にも、仏様にお供えする仏飯や、来客時の一の膳、二の膳といったものまで供膳させて頂きました。昼の法要を挟んでそう言った日々公務を行じていました。その後は夕食、坐禅、就寝となります。

 

K:一番辛かった修行はなんでしたか?

 

H:一番辛かった事、う〜ん、なんでしょう? 修行に行ってから数日後に訪れる、世俗とのギャップから来る一時的なホームシックでしょうか(笑)。大学時代は一人暮らしだったので、深刻なものでは無かったです。「辛い!」っていうのはそれ程ありませんでした、共に修行をしていた方々もいましたので。

 

K:お寺の食事はヘルシーで健康的ですよね。最近は”寺メシ”なる本も出版されてるし。食事担当は実用的な修行ですね。

お寺ごはん

お寺ごはん

 

  

H:調理をする場でも繊細な教えがありまして、食材(いのち)を決して無駄にしない事、調理道具を大切に扱う事、おもてなす心を忘れない事などなど。たしかに調理という実用的な側面もあるのですが、此処彼処に宗派の教えが溢れている場でもあります。

 

下山して、地元病院で薬剤師としてスタート

K:修業は何年されていたんですか?

 

H:お山での修行は偉そうな事言えません、片手で収まる程度です。

 

K:山に籠って数年修行って、十分すごい経験だと思いますけど(笑)。修行を終えて、すぐに薬剤師として働いたんですか?

 

H:下山し地元戻り、もちろん就職活動なんてした事もなく、さぁどうしたものかと思い、とりあえず近くにあった病院に電話をしたんですね。飛び込みで募集をしているか確認した所、ちょうど空きがあり地元に戻り1週間経たずに無事就職する事が出来ました。 当日面接で「髪の毛は伸ばせますか?」と看護部長に質問を受けた事をよく覚えています。剃髪したてでツルツルでしたので。

 

K:あはは。 就職先には薬局、ドラッグストアもあると思いますが、病院を選んだのは”近く”以外の理由はありましたか。

 

H:病院勤務を選んだのは、大学在学中からベッドサイドをしっかり学びたかったからです。就職出来たのはラッキーでした。病院薬剤師で自分の基礎が作れればとも思っていたので。

 

なぜ、僧侶として生きるのか?

K:月並みな質問になってしまいますが、社会人として働き始めて、修業時代の経験が役に立ったことはありましたか?

 

H:修行は僧侶としての生き方を学ぶと言いますか、より研ぎ澄ます行いです。その処し方が役に立ったかと聞かれると返答しようがありません。ただ今でもそうですが、何かに迷えば仏の教えに戻り、また舵を切り直して日々過ごしでいます。

 

K:ここちょっと大事なところなので、話を広げますと、そもそも禅は何かを得るとか、ためになるとか、そのような損得とは離れたところにあると言われています。仕事の業績があがるとか、そういうものではないといいます。かくいう私は、損得を考えて2年程前に坐禅を始めたクチですが、毎朝数分だけでもベランダで背筋を伸ばして印を結ぶだけでも、ああ坐禅という行為を知ることができて良かったなあと感じます。でも、繰り返しになりますが、損得ではないんですよね。ではなぜ、僧侶という生き方を選ぶ人がいるのか。修行は悟りのためとお話されましたが、悟ることにどんな意味があるのか。私はそこが不思議です。

 

H:仰る通り坐禅の本質は確かに損得ではない所にあります。修行始めて間もなく、お経を唱える様に、また寝る様に、食事を取る様に、ただひたすらに坐禅を組みなさいと教えられました。僧侶という生き方は本来、お釈迦様の教えに少しでも近づくべく自ら悟りを求め、自己を高めるために修行を行い、ご縁のあった方々に教えを広め、そして幸せを感じて頂くための活動をします。また嫡々相承(ちゃくちゃくそうじょう)といい、道元禅師が中国から持ち帰った法を師から受け継ぎ、また弟子へと繋いでゆく使命を含め悟りを求めながら担い日々を過ごしています。

 

K:ふんふん。

 

H:ただ、昨今僧侶は寺院存続のための相承によって出家される方も少なからずいらっしゃるのかと思います。そして私自身、寺の跡取りとして生を受け、幼少の頃より自分が後を取るんだなと言った漠然とした思いもあり、寺院の存続・相承の使命感を持ち出家に至った一人である事は間違いありません。もともと在家であったら僧侶と言う選択肢はきっとなかったでしょう。

先にも書きましたが、僧侶となるにあたり動機として充分なのか、そしてこの道が僧侶としての生き方から外れているのか答えは出ません。日常の雑事に流されながら、また日々自問自答していく事かと思います。

 

実家存続の危機で病院から薬局勤務、そして経営者へ

K:ホーホケキョさんのツイッターのプロフィールに「実家存続の危機で退社。ひょんな事から小さな薬局をひとつ、始める事となりました」とあります。これ初めて見た時からすっごく気になってます。

 

H:そうですよね、気になりますよね。ただ詳細を書いてしまうと身バレが(笑)。探さないで下さいとしか言い様がないのですが。 ざっくり話せば、師匠(父)の入院、身内のトラブルなど色々ありまして、病院勤務だとやはり夜勤もあるのですが、それ処では無くなり、時間的に融通のつけられる近所の職場を探したところ、とある調剤薬局にご縁を頂き就職する事が出来ました。

お世話になったその職場は社長がひとり薬剤師として切り盛りしている薬局。そんなところに加えて頂きました。 数年勤務したある日、社長から薬局を譲り渡したい旨の話がありました。その理由を掻い摘めば「他に色々やりたい事がある」、今でも尊敬している方です。この薬局を選んで来てくれている方、また従業員も居ります。経営なんて全く分かりませんでしたが、ここでNo.と言う選択肢はありませんでした。

 

檀家さんからお薬相談、時には僧侶姿のまま包括支援センターへ

K:僧侶で薬剤師で社長ですか。もう目が回りそう。その上、お子さんもいて、一人何役もこなされている。

 

H:ぐるぐるぐる。

 

K:薬局経営も、お寺の運営も、時代の流れの中で昔どおりにはいかないことが多々あると思います。そんな中で、いま一番の関心事はなんですか?

 

H:薬局経営と言ってもあまり昔を知らず、他の薬局経営者の方から見ればまだヨチヨチ歩きです。でも薬剤師も私を含め5名を超え、新卒薬剤師さんにも来て頂き、事務さん含めみんなのおかげでやりたい様にやっています。つい先日もお盆の最中、お檀家さんからお薬や健康の相談も受けたり、また急ぎでどうにかしてあげたい方の案件で、僧侶の格好のまま包括支援センターへ乗り込んで相談に行ったりも。一番関心のある事をまとめますと、薬剤師と僧侶のミックスとして、そのままの自分で育った地域の役に立つ事です。

 

K:うーん、薬局の地域密着には色々な形がありますが、僧×薬剤師は初耳です。

 

H:でも薬剤師としても僧侶としてもまだまだこれから、相乗効果が出せる日まで日々精進です。

対人関係や仕事で迷っても、仏道があるから立ち戻れる

K:よいお話を聞かせていただきました。最後にお願いがあります。これを読んでいる方の中には、ふだん宗教に関心のない方も多いと思います。

私自身は無宗教なんですけど、でも禅の作法や考え方と言うのは本当に興味深くて、「めっちゃおもしろいよ!」と言いたくて(おもしろいという表現が適当かはわかりませんが)、このようなブログを書いています。でも、私の筆力が乏しいばかりに全く伝わっていません(笑)。やはりここは、本職のホーホケキョさんの言葉が聞きたいです!

 

H:禅と言うのは自らを仏とし拠り所として、特別なことではなく、当たり前なことを真に感じるものだと思います。日々わかっているんだけれどもストンと落ちていない事、思考の外にあるそのモヤっとした部分に禅があるんじゃないかなと。例えば、先祖がいるから自分がいる、食卓に食べ物があればそれは命、当たり前な事で全ては出来ているんです。仏の教えも単純でみんなが知っている事。バカの壁と言いますか、なんだか難しく話す人がいるから難しくなる。禅の実践ってそんなに難しいものじゃないのです

 

K:ふんふん。

 

H:坐禅についてですが、マインドフルネスという観点から見れば、今、この場所にいる自分にその心とカラダを落ち着かせる事ができる方法としてとても良いと思います。脚下照顧(きゃっかしょうこ)と言いますが、インドへ自分発見の旅に出てもそれはプロットが増えるだけ。X軸とY軸の合わさる何処にまず自身を落ち着かせてみるとその広がりが分かるかもしれません。

僧侶としてお檀家さんにお釈迦さまの教えを説く身分ですが、仕事や家庭、対人関係で私もまだまだ迷います。でも、たとえ迷っても仏道があるので立ち戻れる。仏道は道しるべで自分の道が禅、そんな自分の真ん中に据え置ける教えがあると、またちょっと世の中生きやすくなったりするかも知れません。

 

K:禅や仏の教えというのは何も特別なことではないんですね。私も週1回、お寺で70歳を超えた老師の説法を聞いています。『無門関』(中国宋時代の仏教書)など難解な禅書を題材にすることもあるのですが、老師が言うことはいつも同じで、当たり前のことが多いんですね。でも、その当たり前のことを聞くために、どういうわけか私は、わざわざ寺に行ってしまいます。なぜかと考えると、目新しいもの、新奇性のあるものばかりが流行するネットの情報では得られない、感覚的にしか伝わらないものが確かにそこにはあるような気がします。

アップルのジョブズさん、JALを再建した京セラ創業者の稲森和夫さん、最近自民党総裁選候補に名を挙げた石破茂議員など、国内外の著名人を含め多くの方々が禅に興味を持つには、やはり理由があるのだと思います。だから、興味を持っていただけた方には「まずは一度、お寺で坐禅をやってみて」と言いたい。このたびは貴重なお話をお聞かせくださり、本当にありがとうございました。

 

 

いかがでしたでしょうか。禅や仏教の考え方を少しでも身近に感じていただけたら幸いです。

ホーホケキョさん、本当にありがとうございました! 御縁に感謝です!